最近なにやってるか

 

勉強

読書メモ

大学入ってちょっとしてから Evernote で簡単な読書メモをつけてるようにしてるんだけど、2018年に入ってからつけた読書メモが319冊になった。

もちろんこれは319冊全部に目を通したということではなくて、著者名・出版社名とかの特徴的な書誌情報と目次を転写しただけのものがほとんどだ。一年前、二年前に一度手にとって読書メモ取ったけど、改めて情報増やしたみたいなのも多く含んでいる。

たまに将来使いそうだなーと思った本文のフレーズとかも一緒に写したりする。

 

じゃあ実質的にどのくらい読んだのかというとよくわからない。いちおうこのブログに読書メモを取った本は読もうと努力してるけど、全然インプットしきれてない感はある。

読書メモを取る上で何が大事か
  • 題名と著者名を把握した上で目次に目を通すこと
  • 情報をタイピングすることで短期記憶にインプットすること
  • 自分が注意を惹かれた本の情報(特に目次)が手元にあること
  • 手元に情報がある本については必要に迫られるまで忘却することが許されること
  • 手元の情報を全文検索できる技術

例えば僕は仮想通貨について勉強したことはないけど、2017年2月17日に、大学の図書館で、

『仮想通貨の教科書──ビットコインなどの仮想通貨が機能する仕組み』日経BP社、2016年

の目次をメモしていたので、この本にどんな内容が書かれているかはわかる。内容は理解していないけど。

まえがき

はじめに
  1. 暗号理論と仮想通貨入門
  2. ビットコインが非中央集権を実現している仕組み
  3. ビットコインの仕組み
  4. ビットコインの保管と利用の方法
  5. ビットコインの採掘
  6. ビットコインの匿名性
  7. コミュニティと規制
  8. 代替マイニングパズル
  9. プラットフォームとしてのビットコイン
  10. アルトコインと仮想通貨のエコシステム
  11. 非中央集権的な組織──ビットコインの未来?
終わりに
謝辞
索引

本当は章題だけじゃなくて節の題までメモってるけど冗長になるのでカットする。

2017年2月の時点ではほとんど理解できていなかった固有名詞について、昨今の乱痴気騒ぎのおかげですんなり把握できるようになったので、ある意味では、今からこの本で勉強し直すと色々スムーズに理解できるんじゃないだろうか。

またこの本の各章に参考文献がついていることも読書メモに取ったので、各章を独立したものとして読み進めることができる、と実際手にとらずとも了解できるのは有用だ。

プログラミング

  • Python の開発環境を用意した
  • 『退屈なことはPythonにやらせよう』を読み始めた
  • まだ第1章ですが…
  • 『独学プログラマー Python言語の基本から仕事のやり方まで』も注文した。さすがにしばらく書籍のための出費を止めないといけない…
  • 『退屈な〜』に出てきた単語はいちいち全部ググって公式のドキュメントとか技術ブログを読んでる
  • Qiita と Github に登録して色々読んでる。恥ずかしいからアカウントは秘密

英語

  • 大学で TOEIC 受けたスコアが返ってきた
  • 今までの人生で TOEIC について考えたことが10秒しかないので意味はわかりませんが……
  • 文法書とか英語学の本とか適当にチェックしてみたものの、やっぱりスタンダードな問題集とかをコツコツやるのが今のところ効きそうだなーという気持ち

スペイン語

  • 進捗なし

 

meet in person

サークルの人間

  • 先輩が卒業するというのもあって、そこそこ会って話を聞くようにした
  • まあ先輩がいなくなってしまったので、同期や後輩の話をそこそこ聞いていきたいですね…

集会

  • 四月から忙しくなりそうなのであまりできない気がする

就活サポート活動

  • メンバーが途中で就活を辞めるという事態があったものの、情報収集は続けております
  • 現在新規メンバー募集中

ゼミの先生

  • まだ面談のアポ取ってねえ

バイト

  • ラーメン屋のバイト始めた

 

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『実用的な過去』岩波書店、2017年(読書メモ)

ヘイドン・ホワイト 著、上村忠男 監訳『実用的な過去』岩波書店、2017年

『メタヒストリー』よりも先に『実用的な過去』と『歴史の喩法』に取り掛かるといいことがあるんじゃないかという気がしたけど、別にそんなことはなかった。

序言

第1章 実用的な過去

第2章 真実と環境──ホロコーストについて(何かを語りうるとして)何が正しく語りうるのか──

第3章 歴史的な出来事

第4章 コンテクスト主義と歴史的理解

第5章 歴史的言述と文学理論

後記

【付録】歴史的真実、違和、不信

【監訳者解説】ホロコーストをどう表象するか──「実用的な過去」の見地から──

監訳者あとがき

人名索引

 

さてここで、章題だけだと内容を推測しづらいので、各節の冒頭一文を抜き出してみる。

第1章 実用的な過去

エピグラフ フィクションとは、歴史の抑圧された他者である。──ミシェル・ド・セルトー

 

第1節 W. G. ゼーバルトの「小説」である『アウステルリッツ』の冒頭付近で、ナレーターは、この作品のタイトルの由来にもなっている主人公「ジャック・アウステルリッツ」を紹介する。

第2節 まさにここにおいて、わたしは「実用的な過去」という主題に辿りついたのである。

第3節 では、実用的な過去とは何か。

第4節 ここで、歴史叙述と同じくらい古く、同じくらいに尊重されてきた叙述の実践がもつ多様な側面に対して、批判的な反省を加えてみてもよいだろう。

第5節 この「歴史的な過去」と「実用的な過去」の区分は、近代の専門的な歴史家による過去へのアプローチと、素人や他の学問分野の実践家が日常生活での判断や決断などの基盤とするために、「経験の空間」(コゼレック)として「過去」を持ち出し、想起し、利用しようとするやり方とのあいだに、違いをつけるうえでも役に立つ。

第6節 ところで、歴史哲学は──いくらそれが予言的で、未来予測的で、黙示的であろうとも──、一般的には、「ストレートな歴史学」と呼ばれるものに対抗する第二のものを目指していたわけではなかった。

第7節 しかし、歴史家によって構築された過去と歴史哲学者によって構築された過去という区別は、近代西洋の学問文化をとくに悩ませてきたある関係について、洞察を与えてくれるように思われる。

第8節 もちろん、それと同じ頃、歴史研究の専門家は、自分たち自身の新たなる正統性を見いだし、「唯一の過去」の公的な管理人へと変貌しつつあった。

第9節 しかし、以上のことは、わたしたちが現代の人文科学における歴史学の地位を理解するうえで、どんな意味があるだろうか。

 第2章 真実と環境──ホロコーストについて(何かを語りうるとして)何が正しく語りうるのか──

第1節 実在する世界──過去、現在、未来のいずれの世界であれ──についてのものであることが明白な言述に対して、「それは真実か」と問うことが不適切、無神経、あるいはまったく的外れであるのは、どのような場合であろうか。

第2節 犠牲者たちの証言の身分 status についてはあとで立ち戻ることにする。

第3節 1990年にカリフォルニア大学ロスアンジェルス校でソール・フリードランダー〔ザウル・フリートレンダー〕とウルフ・カンスタイナーが主催者となって「〈最終解決〉と表象の限界」と題する会議が開かれた。

第4節 さて、「このやり方を参考にしなさい」とか「こうしろ!」といった発話のいずれに対しても、「それは真実か」は正しい応答ではない。

第5節 このように考えると、ある発語への応答の正しさは《コンテクストに依存 context specific》したものであり、「適切さの条件 conditions of felicity」が適用される、とする言語行為 speech act 理論の領域に踏みこむことになる。

第6節 ここで、わたしがひとりの歴史家であると仮定しよう。

第7節 プリモ・レーヴィが第二次世界大戦末期にアウシュヴィッツに収容されたときの回想記は、明らかに現実の世界、具体的にはアウシュヴィッツの世界についてのものではあるけれども、「それは(歴史的に)真実か」というかたちで応答したのではいかにも不適切というほかないテクストの一例である。

第8節 締めくくろう。

 第3章 歴史的な出来事

エピグラフ 真実が生まれる過程が始まるためには、何かが起こらなければならない。すでにあるもの──既存の知の状況──は、繰り返し以上の何も生み出しはしない。真実がみずからの新しさを主張するためには、何か追加されるものがなければならない。そうした追加は偶然に委ねられている。それは前もって知らせることも、予測することもできない。今あるところのものを超えたものである。わたしはそれを出来事と呼ぶ。かくして新しい真実が現われる。というのは、追加が繰り返しに割って入るからである。──アラン・バディウ『無限の思考』

 

 第1節 主流の歴史研究の周縁部でおこなわれている最近の議論は、「歴史の外側」にいるのではなく「歴史に属している」ということが、あるいは「歴史を欠いている」のではなく「歴史を有している」ということが、どれほど現代の一部の集団的アイデンティティの追求において重要になっているかを明らかにした。

第2節 さて、一般的には、この問題について多少の知識のある人にとって、「歴史的な出来事」を定義し、歴史的な出来事と他の種類の出来事──偽りの出来事、実際には起こらなかった出来事、自然の出来事、超自然的な出来事、想像上の出来事、架空の出来事など──を区別することはさほど難しいことではない。

第3節 ここでわたしたちは、出来事に関するモダニズムの言説において定式化されたもうひとつの考えに遭遇する。

第4節 歴史の観念と歴史的な出来事のカテゴリーが発明される以前には歴史的な出来事は起こりえなかった、というのは、論理上の逆説にすぎない。

第5節 さて、「プロット plot」という言葉を出すことは、さらなる物議を醸す。

第6節 西洋哲学の原点が形成されたころ、具体的にはストア哲学の開祖であるキティオンのゼノン(前265年没)の伝説的な教えのなかで、わたしたちは「出来事」という観念が「運命」という観念と結び付けられているのに出会う。

第7節 さて、こうしたことすべては、困惑するような話かもしれない。

第4章 コンテクスト主義と歴史的理解

第1節 本章でわたしは、哲学者アーサー・ダントーに倣って、理解とはある種の「認知による説明」である、と前提してみたい。

第2節 わたしたちがいま考えているのは言葉による描写であるから、近代記号論における指標的、類像的、象徴的という区別を用いて、歴史叙述、民族誌、旅行記、伝記、証言、小説、判例集、そしてそう、哲学といった、さまざまな言述に見られる異なる種類の描写の特徴を明らかにしてみてもよいだろう。

第3節 以上の見解は妥当であるとわたしは思う。

第4節 さて、ここで「コンテクスト context」の概念が、歴史的指示対象の捕らえどころのなさがもたらす不安を効果的にやわらげるために、用いられる。

第5節 哲学者スティーヴン・ペッパーは、「コンテクスト主義」とは、西洋の形而上学と認識論の伝統のなかで哲学者や知識人たちが生み出した四つの基本的な「世界仮説」の一つであるという(残りの三つは formism 形相論、機械論、有機体論である)。

第6節 歴史的な過程 processes の描写(そして再描写)は、歴史的な構造や場所の描写よりもはるかに困難になる。

第7節 こうした困難にもかかわらず、歴史的出来事を組み合わせた物語は説得力をもって書き続けられている。

第8節 わたしは先にダントーの、「事実」とは「描写された出来事」である、という考えに触れた。

第9節 そこで、少し話を巻き戻そう。

第10節 象徴とは記号であって、そのシニフィアンは言語的、視覚的、聴覚的、または触覚的なイメージであり(たとえば円や十字の形であったり、または「円」や「十字」という言葉であったり)、そのシニフィエは、また別のイメージを指し示す。

第5章 歴史的言述と文学理論

第1節 「ホロコーストを物語る」ことは可能なのだろうか。

第2節 さて、ここでわたしが言いたいのは、ホロコーストに関するここ半世紀以上にわたる歴史叙述は過去についての少なくとも二つの相違なるとらえ方のあいだで宙づりになっていると解釈するのが妥当だろうということである。

第3節 何についてであれ、その長くて詳細な「歴史」を要約することはむずかしい。

第4節 〈最終解決〉の歴史的意味とは以上のようなものであった。

第5節 「ホロコースト」(そしてその同義語である「ショアー」「ジェノサイド」「破滅」「絶滅」など)として知られる出来事の集合は、これとは話が違う。

第6節 さて、『絶滅の歳月』におけるホロコーストについてのフリートレンダーの記述は滑らかとはとても言いがたい。

第7節 このようなことはどのようにすればなしうるのだろうか。

第8節 『絶滅の歳月』へのフリートレンダーの序文はこう結ばれている。

第9節 フリートレンダーの傑作を統轄しているイメージは概念ではなく、「絶滅」という比喩形象 figura である。

第10節 わたしがここまで述べてきたことは、「ホロコーストを物語ることはできるのか」という問いを真剣に受けとめようとするのなら、提起されるべき二つのトピックの核心にあるものである。

ナレーション、ナラティヴ、ナラティヴ化についての付記 現代の歴史家たちは「ナラティヴ」を歴史研究のなかで発掘した事実をその内容に大きな変化を及ぼすことなく移すことのできる中立的な容器ないし形式として扱いがちだ。

ここに一冊の本がある。この本の文章すべてに目を通さず、内容を推測することは可能だろうか?あるいは「本を推測させるような《読み》」とはどのようにして可能になるだろうか?

客の目を惹くように、本の表紙や帯にはセールスのための文句が書き込まれている。実際に自分で本を買うかどうか悩んだ際には、その内容を知る(推測する)ために紹介文やカスタマーレビュー、著者のインタビューなどを参考にすることもよくある。

つまり、優れた出版社に恵まれた本に限った話だが、本の外部空間にはその内容についての説明書きが書き込まれている。

 

さて、それでは本の内部には一体何が書かれているのだろうか?

例えば、多くの学術書において「目次」というのは非常に頼もしい指針になりうる。しかし目次を読んでそれで終わりというのは……まあよくある話かな?

表紙をたぐり、出てきた1ページ目だけを繰り返し読み続けて、それ以降の内容すべてを推測することを楽しみにしている人物を考え出す。恐らく狂人に近い。

しかし数ページをパラパラとまくり、飛ばし読みすることで事足れりとする、これは狂気よりももっと身近な手抜きの方法ではないだろうか。身に覚えがある。

いや飛ばし読み、意味ありげなところだけをつなぎ合わせて本の総体をイメージするというのは、それができる時点で、その本に書かれている話が読まずして既に頭のなかに入っているのではないかという自家撞着への疑念を生みかねない。有意味的にサクサクいったれやという手抜きを嫌う本は実際多いと感じる。

無意味的に読むとすれば。例えばページの頭にある文字だけを並べていくというのはあからさまに無意味だ。

どうしようもない。

しかし、各ページ冒頭の文章一行分だけを抜き出すと、風景は変わる。

これまでの全生涯、わたしは歴史と文学の関係に関心を寄せてきた。それはわたしが最初に歴史に魅

想、価値、夢想の衝突についての物語であり、弁証法的関係は事物ではなく観念のあいだでのみ成り立

歴史を扱った作品の目的は、困惑を一掃することではなくて増大させることにあるのだった。

条件についてのよくある考え方、すなわち、過去のものとなってしまった出来事、過程、制度、人物、

はっきりとした指示と直接的な知覚に開かれていることがらや、原則として実験室で条件を整えておこ

ここに、著者が想定していた筈がない、誰にとっても全く未知の意味論理を考えてしまう。役に立たない読み、一字一字を丹念に追うことに飽きすべてを投げ出す手前の解釈を試し、より自由な論理を引き出せないか。最近とにかく手抜きをしたくて仕方がないので、色々なことを考える。

 

節の冒頭一文を抜き出すところに戻ると、打って変わって、「節分け」はほとんど有意味的とも取れる編集行為だ。場合によっては、分量の調節のため、翻訳の都合上などなど、非合理的な「節分け」もありうるかもしれないが、今回の本はそこまで無駄な区切りを入れてはいない、と思う。

自分が追いたいテーマやキーワードが節の冒頭で示されていれば、そこを追うことでガイドが見えてくるということもあるかもしれないが、本の総体に迫りたいという「本来の期待」に応える行動ではない。

要するに推測なんか経ずに素直に読めばそれで終わりということなんだけど。しかし一冊一冊を素直に読んでいくというほどのやる気がない。やる気がないので横になる。

一冊の本の意味内容を把握したいという期待に焦りを覚え、実際はなんだか凄まじさ情けなさなども感じる。そんな。

「読破」と宣言したいのでなくとも、読みを完了させることを迫ってくる人というのはいる。僕にとっては教師がそうで、僕は昔から本の要約が全くできなかった。

本を読んで感想を書く。まあ読めてないにしても読めてないなりに書くことはできる。

だがしかし、要約は難しい、難しすぎる。

読みを完了させることを覚え、そして書記に関する訓練をこなせば、本の要約というのはある程度楽になるらしいが……いつもいつもダルい気分になる。マジでダルい。訓練とかしたくない。

(リフレイン)第5章第3節 何についてであれ、その長くて詳細な「歴史」を要約することはむずかしい。

絶望的にならず、手抜きをし、自分の読みを〈そのうち、いつか、未来〉へと投げ出すために、だらだら更新し続けるこのブログを立ち上げた。終わらない書記、いつまでも続く読解、予告なく更新されるメモに自身の叙情性さえ伴えばそれでいいんだが、なかなかね。

手抜きをするために新しい読みを試し続けねばならない。一冊の本を前にうなされるようにして考えた。

手元の日本語 SF 読む

大森望 編『SF の書き方──「ゲンロン 大森望 SF 創作講座」全記録』早川書房、2017年 を読んでてそもそも日本語 SF 全然わかんねえなあという感じだったので、とりあえず手元にある分だけでも読んでいくかという話。

 

神林長平

戦闘妖精・雪風〈改〉』ハヤカワ文庫、2002年

『いま集合的無意識を、』ハヤカワ文庫、2012年

 

冲方丁

マルドゥック・スクランブル The 1st Compression──圧縮〔完全版〕』ハヤカワ文庫、2010年

 
小川一水

『時砂の王』ハヤカワ文庫、2007年

『フリーランチの時代』ハヤカワ文庫、2008年

『天冥の標 I メニー・メニー・シープ』ハヤカワ文庫、2009年

『青い星まで飛んでいけ』ハヤカワ文庫、2011年

『煙突の上にハイヒール』光文社文庫、2012年

『こちら、郵政省特別配達課(1)』新潮文庫、2014年

 

伊藤計劃

虐殺器官』ハヤカワ文庫、2010年

『ハーモニー』ハヤカワ文庫、2010年

The Indifference Engine』ハヤカワ文庫、2012年

 

円城塔

Self-Reference ENGINE』ハヤカワ文庫、2010年

『道化師の蝶』講談社文庫、2015年

 

宮内悠介

ヨハネスブルグの天使たち』ハヤカワ文庫、2015年

エクソダス症候群』創元SF文庫、2017年

 

藤井太洋

Gene Mapper -full build-』ハヤカワ文庫、2013年

 

気持ち

  • そもそも SF は有名所だけ読んで後は深入りしないみたいなスタンスだった
  • 読んでる間はそこそこ面白かったりつまらなかったりして充実感があるが、読み終わってしまうと綺麗に忘れてしまう
  • そのため SF 的な発想、作品に対する気持ちなどが、日常的に持続するということも少なかった
  • ところが去年『ヨハネスブルグの天使たち』を読み、この間『時砂の王』を読んで「これはいいのでは」という感触を得た
  • 意識的に SF 読む期間を設けないと自分の性格的に途中で飽きて結局何冊かは放るだろうという見通し
  • ある期間に集中的に読むと、長編の筋が頭に入ったり、短編の内容と題が頭の中で結びつきやすかったりしやすい気がする
  • ところで「とにかく何を始めるにしても、〈今-ここで〉始めるのがベスト!!」という意識が最近色々な部分で表出してきて、ややストレスもある
  • ストレスを抱えて課題達成をこなすことが目標となっていて、ストレスの解消それ自体が志向されていないのは問題では??
  • あえて SF について今の時期を読むと、怒濤の伊藤計劃メディアミックスが落ち着いたので、心穏やかにハヤカワ文庫を読むことができる
  • あとバーチャルユーチューバーがかなりフィクショナルな存在なので、そこら辺も日本語 SF の状況と共鳴するのかしないのかみたいな時期
  • 今回の気持ちとしては手元にある分読んだら終わりということで、手当たり次第に買い漁ってひたすら読み続けるみたいなつらいことはしない

 

コミックNewtype連載の『ハーモニー』を読もう!!!

comic.webnewtype.com

2018-2 何をやってるか記録

2月は、今日までにブログ記事は8本投稿した。

その他、ブログにアップロードしてない分の勉強について記録する。

ローカルで取ったメモなど

千葉雅也『動きすぎてはいけない ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』河出文庫、2017年 面白いけど同時に色々勉強しないと読み進めるのが難しい。

2月に入ってから色々動きすぎてることの教訓としてこれは割と良かったのではないか。

もっと動けばもっと良くなると、ひとはしばしば思いがちである。ひとは動きすぎになり、多くのことに関係しすぎて身動きがとれなくなる。創造的になるには、「すぎない」程に動くのでなければならない。動きすぎの手前に留まること。そのためには、自分が他者から部分的に切り離されてしまうに任せるのである。自分の有限性のゆえに、様々に偶々のタイミングで。*1

森山公夫『躁と鬱』筑摩書房、2014年 かなり面白い。特に「躁うつスパイラル」論などはかなりの価値があると思う。が、 昔の思想家、文学者を引いてきて精神状態について考察するのはやや牽強付会のきらいがあるのではないかと感じた。吉本隆明、北村透谷、坂口安吾鶴見俊輔ゲーテ、プロメテウス、ルター、ジョン・スチュアート・ミルマックス・ウェーバーニーチェとか、そりゃそれだけ色々分析できたら面白いのかもしれないが、多すぎるのでは?

 

國分功一郎『暇と退屈の倫理学 増補新版』太田出版、2015年 だらだら読んでたら飽きてきた。そこそこページ数を割いて紹介されている「定住革命」について、この本で初めて知ったが、どうも史料と論法に怪しさを感じた(先史時代の生活を描写するために創作した物語を挿入するあたり)ので、これは暇ができたら調べてみたい。さしあたっての文献は 岡村道雄『縄文の生活誌』 か。

 

向井照彦『ウイルダネス研究序説──植民地時代における生成と展開』英宝社、1995年 wilderness は最近知った概念で色々考えるのに面白そうで少し気になっている。いずれブログ記事にまとめられるといい。

 

現代詩

現代詩手帖 2018-1 見た。中尾太一「カーディガンと栗鼠のうた」に感心したので手元に写した。

現代詩手帖 2018-2 の「2000年代詩とはなにか?」も見て、現代詩手帖 2009-4 の特集「ゼロ年代詩のゆくえ」もチェックした。

その後、思うところあって、中尾太一の作品・散文等一覧をまとめ始めた。調べてみると結構な量の作品を読んでたんだなと思いつつも、昔のものや同人などは全然チェックしてないので、その辺りはこつこつ調べていくか、という気持ちになった。その一覧をブログで公開してもいいものかは考え中。

 

スペイン語

特に成果なし。ボルヘス調べてモチベーションだけは上がった。

 

英語

特に成果なし。昨日教えてもらったんだけど、木曜日に TOEIC 受けることになってるらしい。当日まで勉強しないのではないだろうか、というか当日朝9時に起きるのだろうか。謎は多い。

 

プログラミング

特に成果なし!

 

就活

卒業できるかもよくわからないので、今年は就活しないんだけど、それはそれとして、周りの人を何人か集めて就活情報収集用グループに放り込んでグダグダするということを始めた。

どうせそのうち就活するんなら今のうちから他人の就活に付き合った方が楽しめるという気持ちでグループを作ったので、就活生以外の参加者も絶賛募集中。

 

イデア

僕がメンタルヘルス関連の書籍を読むようになったのは、啓発目的と、あとは「ネット上に存在するクオリティの低い健康情報」をフィルターできるように知識が欲しいというモチベーションだったと整理できる気がする。

専門的な知見は未だ得られていないとはいえ、全く何も勉強していなかった頃に比べると、ある程度のフィルタリング能力は身についたように思う。

「非専門家として文献を手広くおさえて、人のためにクオリティの低い情報をフィルタリングし、逆におすすめできるノウハウについてコンサルトする」というのをスキルとして習得できるとサバイバル能力が上がる気がする。実際僕自身がスキルフルな人らに助けられて生きている面が多分にあるので。

或いは余計な勉強をして損するコースなのかもしれないが、まあとりあえず余計なことに時間を取られてるのを楽しもうという気持ちになる。今のところ。

*1:千葉 (2017) P.67

スペイン語文学を読む時に備えて・ボルヘス編

スペイン語の単位はまだ6しか履修していませんが、それはそれとして読めるものを読んでいきます。*1

  

日本語でボルヘス『伝奇集』を読む場合

二つの翻訳版

(そもそも僕はボルヘスは『伝奇集』しか読んでいないので、メモを残すにしても知らないことが多いです。不正確なメモとなるかもしれませんが、また暇な時にでも一から裏を取っていきたいです)

 

ボルヘス『伝奇集』の日本語訳は二種類存在します。

 

篠田一士訳の翻訳履歴*2

  • 初訳は、集英社「世界文学全集: 20世紀の文学 34」『伝奇集・不死の人 / アルファンウイの才覚と遍歴 / 真実の山』1968年
  • 集英社「世界の文学 9」1978年 では「伝奇集」「不死の人」に加えて「汚辱の世界史」を増補。
  • それ以降、複数の文学全集シリーズに収録
  • 「筑摩世界文學大系 81」筑摩書房1984
  • ラテンアメリカの文学 1」綜合社、1984
  • 集英社ギャラリー「世界の文学」 19」集英社、1990年

篠田(綜合社、1984年)P.332 に面白い話があります。

ボルヘスは1974年に一冊本の『全集』 (Obras Competas, Emecé Editores, Buenos Aires) を刊行し、初期の三冊のエッセー集をのぞき、他の全作品を、千ページをこえる大冊本のなかに収めた。

翻訳は、この全集版を底本にした。この十年ばかりのあいだ、アメリカ人、ノーマン・トマス・ディ・ジョヴァンニの英訳がしきりと行われ、しかも、ボルヘスそのひとのお墨付きがあるものだから、なにか決定版のような印象を与えている。しかし、初版、あるいは全集版の原文とくらべた場合、書き加えを主とした異同が各所に認められ、その多くは、少なくともぼくには、改悪としか考えられない。複雑な事情があれこれ考えられるが、全集版のスペイン語版に拠ると決めれば、一応、問題はなにも起らないはずである。全集版は各作品とも、初版本を、ほとんどそのまま踏襲ししている。

なお『伝奇集』の翻訳は、すでに十数年以上もまえに出版されたが、1978年に刊行の「集英社版・世界の文学」9巻収載の折に、徹底的な手直しをほどこし、面目を一新したつもりである。新訳決定版とお考えいただいてよいかと思う。訳注は一切省いて、原注のみにした。ボルヘスの作品に訳注をつけるとすれば、パロディー、あるいは、附句をつけるようなもので、いまの場合、訳者にその余裕はない。

ちょうどこの引用の後半部分で改訳の経緯について説明されています。しかし前半部分は…… 

こちらの迷宮旅行社さんのページを見ましょう。

ボルヘス『伝奇集』第2次百科辞典第1巻(迷宮旅行社)

さて、山下さんによる発見その1。篠田はスペイン語の『全集版』を定本にしたと述べているにもかかわらず、篠田が訳した「トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス」には、英語版に引っ張られたとしか思えない箇所があること。そもそも「あれ篠田一士ってスペイン語の人だっけ?」と首をかしげる人は多い。さらにおもしろいのは、篠田は、実は、英語版の『伝奇集』について、《書き加えを主とした異同が各所に認められ、その多くは、少なくともぼくには、改悪としか考えられない》と非難しているのだ(今回私が借りた『伝奇集』の後書きによる)。何がどうなっているのか。

実際に「篠田が参照したテキストは何だったのか」について情報を集めて検討するのも面白いかもしれないですね。

 

鼓直訳の翻訳履歴*3

評価

この二つの翻訳版についての評価は以下の通り、色々と問題があるようです。

これはひどい

まず僕は篠田訳には目を通していないので、何とも言えません。

鼓訳については、岩波文庫版を持っているので、まあ問題があるというのがわかってしまいます。わかってしまうというか、批判的なレビューを確認してからようやく「ああ、あの時読み進めるのがダルくていまいちボルヘスのアイデアに没入しきれなかったのは、僕のせいじゃなくて、誤訳のせいにできたのか…」と思えるようになったという間抜けっぷり。

当時はスペイン語もできなかったので*4仕方ないんです。

 

で、どういう問題かっていうと、やっぱり意味の取りにくさとかが目立つ点にあるんじゃないでしょうか。よくわからないので詳しいことはこれから考えていこうと思います。

 

「バベルの図書館」冒頭部分

とりあえず、いま指摘できるミスとしては、Amazon カスタマーレビューで指摘されている次の点が挙げられます。

「バベルの図書館」の冒頭、「24つの文字(letter)」の組み合わせとなる所、「24枚の手紙の組み合わせ」となっています。これでは意味がわかりません。もう少しいい翻訳でないとボルヘスがもったいない。

(数字は24じゃなくて23が正しいんですが)調べたところ、たぶんこれはやはり誤訳だと思います。冒頭というのは「バベルの図書館」の頭に掲げられているエピグラフのことです。

 

鼓直

これによって、あなたは二十三通の手紙の変化を考えることができるだろう……。

『憂鬱症の解剖』第二部第二節第四項

 

ちなみに篠田訳(1984年)も同じく「手紙」を採用しています。

この技によって二十三通の手紙の変奏を考えられよう……

『憂鬱症の解剖』第二部第二節第四項

 

原文はこうなっています。

 By this art you may contemplate the variation of the 23 letters...

The Anatomy of Melancholy, part. 2, sect. II, mem. IV.

 

これはボルヘスが、16世紀末から17世紀にかけてのイギリス人学者ロバート・バートンの著作『憂鬱症の解剖』を引用したものらしいです。つまりオリジナルはスペイン語でなくて英語。

その『憂鬱症の解剖』の原書 The Anatomy of Melancholy はオンラインで閲覧できます。

プロジェクト・グーテンベルク版を確認すると、

By this art you may contemplate the variation of the twenty-three letters, which may be so infinitely varied, that the words complicated and deduced thence will not be contained within the compass of the firmament; ten words may be varied 40,320 several ways: by this art you may examine how many men may stand one by another in the whole superficies of the earth, some say 148,456,800,000,000, assignando singulis passum quadratum (assigning a square foot to each), how many men, supposing all the world as habitable as France, as fruitful and so long-lived, may be born in 60,000 years, and so may you demonstrate with [3362]Archimedes how many sands the mass of the whole world might contain if all sandy, if you did but first know how much a small cube as big as a mustard-seed might hold, with infinite such.  

しかし昔の人の文章は一文が長いし、ラテン語も出てくるしでヤバいですね。まあでもボルヘスが引用したくなるのもよくわかるというか。

ボルヘスがどういう気持ちでこれを引用したのかまではわかりませんが、さすがにボルヘスがこれを読み違えたということもないと思われるので(多分)、恐らくここは「23文字」で間違いないでしょう。*5

 

また文化人類学者の今福龍太も別の箇所について、鼓訳の問題点を指摘しています。

Seminario del Libro-Cuerpo 第3回 ボルヘス「バベルの図書館」を読む

今福は別の回で鼓訳『砂の本』の誤訳を指摘していますが、僕は『砂の本』も読んでいないので、これは保留付きで紹介するだけとします。

Seminario del Libro-Cuerpo 第2回 ボルヘス「砂の本」を読む

ウェブ上に存在するアマチュア翻訳

前述の迷宮旅行社さんのページで知ったんですが、山下晴代さんという方がなんと『伝奇集』の一編について、自分で翻訳しながら比較検証をしていました。

borges

これが面白い。

なんと

  • 原文
  • 山下さん訳
  • 篠田訳
  • 鼓訳
  • 英語版
  • 仏語版

を並べる徹底っぷり。

「トゥレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス」を一度でも読んだことがあればめちゃくちゃおもしろいと思いますね。

 

また上で紹介した、るていさん?という方が『伝奇集』の和訳をインターネット上で公開しています。最高最高。

- Ficciones -

 

スペイン語ボルヘスを読む場合

さて、これからスペイン語で『伝奇集』を読もうという場合にどんなテキストがあるのか調べたところ、これが出てきました。

Borges esencial. Edicion Conmemorativa / Essential Borges: Commemorative Edition (Real Academia Espanola)

Real Academia Española がなんと2017年にボルヘス作品の記念版となる本を発行していたようです。

英語版の説明を引用すると

A new, commemorative edition by the Real Academia Española and the ASALE that includes the best of Jorge Luis Borges’s work.The fundamental works of the master of contemporary fiction. This volume includes the unabridged texts of Ficciones and El Aleph, two of his most representative narrative works, as well as a selection of his poems and essays. A beautiful, pure, and original work, written in a bare style but with the precision of a scalpel, and with great evocative power and symbolic weight.  

とのことで、『伝奇集』『エル・アレフ(不死の人)』の他にも色々と面白い内容が盛り込まれているようで、めっちゃ良さそう。

つーかボルヘスって著作権切れてないのに2002円で買えるのか〜〜という感動があります。

この本について、日本語で紹介してるツイートや記事が見つからなかったので、メモしました。

 

 感想

  • そもそも誤訳とか「厳密な読み」を意識せずにそのまま訳文に没入できる方が実は文学を楽しむ能力は高いのかもしれない。しかしながら、るていさんの翻訳や山下さんの比較検証に触れた結果、ただの素人一読者としても、今現在流通している状況よりもう少し広い場所でボルヘスについて考えることができるんじゃないかという感触は得ました。
  • これからハードカバーでボルヘス原書読むのか、pdf とか電書で読むのかなど色々考えられますが、とりあえずこの2017年の記念版は念頭に置いておきたいですね。

 

 

*1:卒業には8単位必要らしいです。

*2:篠田(綜合社、1984年)他参照

*3:鼓訳 PP.281-282

*4:まあ今もだけど…

*5:近代英語で用いられるアルファベットは16世紀ぐらいまでは23文字だった。また古典ラテン語のアルファベットも23文字だった。

日記

手を広げすぎて微妙な感じになってきたので、一旦やることを整理したい。

 

まず時間的な問題としては、2-3月を一つのまとまった期間として使い潰してみたい。4月以降に何が出来るかは大学の授業次第ということもあるので、またそのうち考えればいい。

2-3月で完結できるようなプロジェクトを立てると、周りの人と予定を合わせて進めるということもできる。まあ4月以降も授業さえ気にしなければ続けられるかもしれないが、忙しい人も多いので恐らくなかなか簡単にはいかないだろう。

 

前の記事 みたいな単発でコンパクトにおさまる記事をいくつか出していくスタイルがいいんだけど、いかんせん頭の中だけでは壮大な学習目標ばかり立てていて、地に足着かんので、やっぱり確実な見通しがほしい。

 

どういう勉強をするか

やることとしては、語学が最優先かと思っていたが、4月になると再履修クラスだなんだのカリキュラムと教科書が与えられるので、それに合わせて勉強するのがまあ単位取得の面においてもスケジュール維持の面においても確実だろう。

 

逆にプログラミングは授業でもやることはないし、自分で目標までルーティーンを組まないとやってられないので、2-3月はそれを優先すべきなのではないか。

とりあえず学習課題としては、某所から以下のものをサジェストしていただいた。

edX Courses | View all online courses on edX.org

Python については、なんと Microsoft が提供しているようなので、内容的にも信頼できるだろう。たぶん。

日本語だと ドットインストール https://dotinstall.com にアカウントは作ったものの、途中から有料になったりして、煩わしさもあるので放置していた。こちらも詰まったらチェックすることもあるだろう。

 

体系性、スケジュール管理、ルーティーン……ブログをつけはじめた当初からこのようなワードを念頭においている、実現できるかはともかく。

結局のところ、今までバラバラの学習なら並の大学生程度にはやってきたのだ。自負というか意地というか、つまらない話…

それはつまり、1回あたり30分から1時間程度で終わるような学習の積み重ね、ウェブ上で記事を読んだり、本を流し読みしたり、動画を見たり……クソの山。

 

何なら浪人の頃からダラダラとそのような生活は送ってきた。しかしまあ、元々が飽きっぽいので、それぞれはつながらない。つながりのない成果だけ並べたところで、他人から見れば価値のないおもちゃ箱と変わらないこともわかる。

クソと言わずにおもちゃの山と言い換え、それに助けられたこともなくはなかったが、所詮飲み会の場で賑やかしそれに尽き。人生を渡るためにもう少し専門技能がほしいというのが本音だ。

酒飲みだけで就労はできない。できないよね??

 

どういう企画を立てるか

周りの人とどういうプロジェクトを立てるかというのは中々おもしろい問題で、おもしろがっていたらいつまでも決められない。

眺める会

眺める会の様子

 

 

 

眺める会は近いうちに第2回を執り行なうつもりだ。第1回の反省は多いが、結局小説が完成すればそれでよし。

 

さまざまな会

話を聞く限り、割と人を集めやすいのは、この眺める会や、一緒に動画や映画などをみる鑑賞会らしい。鑑賞会自体は以前から身内相手に散々やってきたので今更感がつよい。自分でやってることに飽きたら開催する、ぐらいの頻度でいいだろう。

 

現代詩の会

現代詩の方はそもそも周囲に熱心な読者が少なく、また僕自身人を集める意欲に欠けているので、多分動かさないだろう。

現代詩手帖 2018年2月号 から佐藤雄一 / 久谷雉「2000年代詩とはなにか?」という連載が始まった。連載は2年程度続く予定らしい。初回は、現代詩手帖 2009年4月号の特集「ゼロ年代詩のゆくえ」を振り返っていて、興味を惹かれる内容だった。

現代詩の勉強会をやるとすれば、とりあえず中尾太一を起点に、現在進行中で書かれている作品について考える、みたいな内容にするだろう。

取り組みたいのは中尾太一作品の魅力ということもあるが、前述の「ゼロ年代詩のゆくえ」や、散文「僕は韻石、君は律動」、現代詩手帖で一年間続けた新人作品の選評など、中尾太一自身の詩論を比較的に集めやすいという嬉しさもある。というか勉強会抜きにして集めると思う。

このテーマに興味がある方は一度ご連絡ください。

 

勉強会

歴史の方は人を集めることはできるかもしれないが、色々と考えないといけないことが多い。

最近『メタヒストリー』を読み始めたのは、そもそも大学に入ってから読んだ本が『オリエンタリズム』ぐらいしかないというところに思うところがあるだけで、「歴史学者が実証的な研究だけじゃなくて、文芸よりのレトリカルなコミュニケーションを行なっているとたのしい!」という素朴な気持ちしかない。いかがなものか。

そこまで難しくはないけど読むのが億劫な本の代表にはフーコーも含まれる(個人の感想です)ので、落ち着いた気持ちでやろうとなったならば、フーコーとかになるかもしれない。

 

実践的な話として、就活に関係する社会現象を自分の角度から考えて最終成果としてブログなり論文なりに仕上げる、という会も考えたが、いまいち食い付きは良くなかった。

同時代人としては就活文化よりも面白いテーマはそんなにないし、なんとなれば、まさか現行の就活文化が未来永劫続くわけもあるまいし、程度の気持ちだったが、いまいちアトラクションが足りていないらしい。要検討。

僕がイメージするものとしては、反就活デモとまでいかなくとも、就活について意見を聞かれた時に、うまい切り返しや気の利いた答えも返せないまま、「まあみんなやってるから仕方ないよね」「だいたいそういうもんだし」「やってみたらそれはそれで為になるから」とか愚にもつかない話しか出力できないであろう自分のつまらなさに甘んじることができず、変にやる気が出た話でもあった。しかしやる気がなくなると、ただ不貞寝するだけ。

 

進学するのかまだよくわからないけど、アメリカ史は別として、考えられる進学先は社会学系、メディア論系、図書館情報学をイメージしているので、その辺りの基礎文献を読む会も実行できれば自分の為になる。

 

大学に入った頃と考え方が変わってきたのは、「つまらない会を企画してしまってつまらない人が来たらヤだな」という内輪向いたガキっぽさが抜けて、「とりあえずどんな会でもやるだけやってみましょう」という方向に切り替わってきたことだ。

  • つまらない人は世にいない
  • つまらないと思いたくなる人が来たら適当に関係性を歪めておもしろい感じにすればいい
  • 危ない人が来たら人生経験
  • つまらない会をオーガナイズしてしまったらそれをネタにできる

マイナス要素が自分のなかでなくなった。

という訳で各種企画を用意されているみなさまからのお声がけもお待ちしております。なにとぞよろしく。


www.youtube.com

新書でアメリカ史を読む

更新履歴

2018-2-4 投稿

2018-2-4 平凡社ライブラリーの項を追加

 

中公新書岩波新書でアメリカ史を読むという思いつき

なんとなく勉強しないといけないような気がしてきたので Amazon マーケットプレイスでアメリカ史の関連書を何冊か注文した。本体価格1円に送料だけなので、まあ安い。

届いたもの

その安さに感動したかはともかく、幅の広さを知る

日本のアメリカ史研究にも色々あるんだろうが、とりあえず一般向けを意識した学術研究の成果が色々あるというのは、将来アメリカ史研究者にならなくとも、知っておくといいことがあるかもしれない。いいこととはなにか。

リスト化を考える

これからどの新書レーベルにどのぐらいのアメリカ史研究の蓄積があるか明らかにしたい気がするが、作業がめんどくさい。新書の一覧を眺めて、タイトルや著者名などから、アメリカ史またはアメリカ史に関連する分野の本を抽出する方法について、力技以外思いつかない。

ということで、これから力技によるリスト化をご覧に入れよう。

リスト化の手順

こう、いっぱい書誌情報を見て、ガーッとやる。 

リストの表記凡例

 中公新書平凡社ライブラリー

通し番号 編著者名『タイトル:サブタイトル』発行年

中公新書 

 

  • 222 綾部恒雄『アメリカの秘密結社 : 西欧的社会集団の生態』1970
  • 253 角間隆『燃えるアメリカ : 「神話」に挑戦する若者たち』1971
  • 258 清水知久『アメリカ・インディアン : 「発見」からレッド・パワーまで』1971
  • 274 若槻泰雄『排日の歴史 : アメリカにおける日本人移民』1972
  • 329 若槻泰雄『原始林の中の日本人 : 南米移住地のその後』1973
  • 444 藤原英司『アメリカの野生動物保護』1976
  • 447 池井優『白球太平洋を渡る:日米野球交流史』1976
  • 472 金関寿夫『アメリカ・インディアンの詩』1977

 

  • 601 池田徳真『プロパガンダ戦史』1981
  • 644 八杉佳穂『マヤ文字を解く』1982
  • 671 鈴木明『ある日本男児とアメリカ : 東善作,明治二十六年生れの挑戦』1982
  • 705 道田信一郎『わなと裁判 : アメリカと日本』1983
  • 710 小野耕世ドナルド・ダックの世界像 : ディズニーにみるアメリカの夢』1983→1999
  • 712 石川好『カリフォルニア・ストーリー』1983
  • 735 石川好『カリフォルニア・ナウ : 新しいアメリカ人の出現』1984
  • 755 長沼秀世『ニューヨークの憂鬱 : 豊かさと快適さの裏側』1985
  • 785 津神久三『アメリカ人の原像 : フロンティアズマンの系譜』1985
  • 815 中屋健一『アメリカ西部史』1986
  • 819 阿川尚之『アメリカン・ロイヤーの誕生 : ジョージタウン・ロー・スクール留学記』1986
  • 926 樺山紘一 編『現代歴史学の名著』1989

 

  • 1019 伊東一雄, 馬立勝『野球は言葉のスポーツ : アメリカ人と野球』1991
  • 1031 津神久三『青年期のアメリカ絵画 : 伝統の中の六人』1991
  • 1042 猿谷要『物語アメリカの歴史 : 超大国の行方』1991
  • 1071 佐々木伸『ホワイトハウスとメディア』1992
  • 1126 色摩力夫『アメリゴ・ヴェスプッチ:謎の航海者の軌跡』1993
  • 1139 大橋健三郎『フォークナー : アメリカ文学,現代の神話』1993
  • 1194 黒川修司『赤狩り時代の米国大学 : 遅すぎた名誉回復』1994
  • 1262 児玉実英『アメリカのジャポニズム : 美術・工芸を超えた日本志向』1995
  • 1271 斉藤道雄『原爆神話の五〇年 : すれ違う日本とアメリカ』1995
  • 1228 ハロラン芙美子『ホノルルからの手紙:世界をハワイから見る』1995
  • 1272 野中郁次郎『アメリカ海兵隊 : 非営利型組織の自己革新』1995
  • 1328 森杲『アメリカ職人の仕事史 : マス・プロダクションへの軌跡』1996
  • 1368 村上由見子アジア系アメリカ人 : アメリカの新しい顔』1997
  • 1424 ハロラン芙美子『アメリカ精神の源 : 神のもとにあるこの国』1998
  • 1427 飛田茂雄『アメリカ合衆国憲法を英文で読む : 国民の権利はどう守られてきたか』1998
  • 1428 藤野幸雄『アメリカ議会図書館 : 世界最大の情報センター』1998
  • 1435 越智道雄『ワスプ(WASP) : アメリカン・エリートはどうつくられるか』1998
  • 1437 増田義郎『物語ラテン・アメリカの歴史 : 未来の大陸』1998
  • 1507 三輪裕範『ニューヨーク・タイムズ物語:紙面にみる多様性とバランス感覚』1999
  • 1509 枝川公一『シリコン・ヴァレー物語:受けつがれる起業家精神』1999

 

  • 1535 大貫良夫『アンデスの黄金:クントゥル・ワシの神殿発掘記』2000
  • 1543 青木康征『南米ポトシ銀山スペイン帝国を支えた”打出の小槌”』2000
  • 1566 的川泰宣『月をめざした二人の科学者:アポロとスプートニクの軌跡』2000
  • 1574 阿川尚之『海の友情:米国海軍と海上自衛隊』2001
  • 1596 松岡完『べトナム戦争:誤算と誤解の戦場』2001
  • 1644 矢口祐人『ハワイの歴史と文化:悲劇と誇りのモザイクの中で』2002
  • 1664 有賀夏紀『アメリカの20世紀 上:1890年~1945年』2002
  • 1665 有賀夏紀『アメリカの20世紀 下:1945年~2000年』2002
  • 1688 鈴木輝二『ユダヤ・エリート : アメリカへ渡った東方ユダヤ人』2003
  • 1705 松岡完『ベトナム症候群 : 超大国を苛む「勝利」への強迫観念』2003
  • 1767 砂田一郎『アメリカ大統領の権力 : 変質するリーダーシップ』2004
  • 1734 上岡伸雄『ニューヨークを読む : 作家たちと歩く歴史と文化』2004
  • 1857 矢口祐人, 吉原真里 編『現代アメリカのキーワード』2006
  • 1863 鈴木透『性と暴力のアメリカ : 理念先行国家の矛盾と苦悶』2006
  • 1899 北岡伸一『国連の政治力学:日本はどこにいるのか』2007
  • 1937 菅英輝『アメリカの世界戦略 : 戦争はどう利用されるのか』2008
  • 1954 吉原真里『ドット・コム・ラヴァーズ : ネットで出会うアメリカの女と男』2008
  • 2002 亀井俊介ハックルベリー・フィンのアメリカ : 「自由」はどこにあるか』2009
  • 2012 高野潤『マチュピチュ:天空の聖殿 カラー版』2009

 

岩波新書

やる気が出たら作業する。

平凡社ライブラリー

平凡社ライブラリーからは文学・音楽についての本が多いようだ。

 

感想

  • 作業は自動化した方がいいので、これから処理について勉強していきたい。
  • 作業前の抽出方法の検討がダルくて、ぜんぶ勘で処理してしまったが、真面目にリスト化する時は真面目に検討した方がいい。
  • これは文献リストというより、日本国内におけるアメリカ史受容の年表として理解したい。一つのレーベルや出版社を対象に、通時的に観察するとなんかいいことがあってほしい。
  • 僕自身が割と年表をつけることで得られるセレンディピティみたいなものを素朴に信じているので、何かしら行き詰った時に年表をつける習慣をこれからもブログで適当に広めていきたい。

参考にしたページなど

新書データ - 本を調べる

中公新書:No.1~500 - 文献目録とブックリストのwiki

@empirestar 氏の中公新書あれこれ - Togetter

語学学習の目標をどう設定するか

語学の目標

短期的には「設定した課題をこなす」「課題設定を検討、修正する」の繰り返しだろう。

長期的にはあらゆる言語間の意思疎通を成立させるシンギュラリティが到来した後、人類は滅び、宇宙は崩壊します。

語学学習の中期的目標の設定について

思いつく順に書くと

  1. テストの目標スコアを設定する
  2. (大学の講義の場合)単位の取得
  3. 学習用テキストを決めて一冊ずつこなす
  4. 新聞や書籍、論文、ウェブ上の文章などを選び、翻訳する
  5. 新聞や書籍、論文、ウェブ上の文章などを選び、文意を理解する
  6. E-Learning システムの利用

自由に付き合ってもらえる母語話者がいれば、色々と変わると思うが、自習だとこんなものではないだろうか。

 

「1. テストの目標スコアを設定する」はその後に何をすべきか。

  • 過去問の演習(3. 学習用テキストを一冊ずつこなす)

以外、特に思いつかない。

TOEICTOEFL を勉強するなら大学にいる間にしよう、という意欲は、ごく僅かに煌めいているので、気が向いたら計画を立てるかもしれない。

 

一般に「2. 単位の取得」が一番難しいと言われている。

大学では、単位習得に対する意欲が低い学生のために、意識の低い語学授業が開講されていることが多いが、意欲の低さと意識の低さが螺旋を描いて失墜していく様子はあまりにも有名で、現代日本の大学教育において、もっとも風流なものであるとされている、

意識の低い語学授業では、毎授業への出席を成功させると単位を取得することができる。人間には非常に難しい行為であることから、人工知能による出席代行などを可能にするシンギュラリティ到達への期待の声も日に日に高まっている。

 

「3. 学習用テキスト」については、素人判断ではよくわからないという気がする。

つまり、

  • 単語などについての注や解説がある
  • 学習しやすいよう単元ごとの区切りがある

なんかはまあ慣れ次第で判断できなくもない気がするが、

  • 文法についての解説があるか?
  • 文法についての解説は学術的に正しいか?
  • 単語についての解説は正しいか?

などは難しい。自分も何冊もクソ教科書を買わされて参りました。

 

先生方の「語学学習のディシプリン」「語学教授のディシプリン」「教科書執筆のポリシー」「授業設計のポリシー」などはそれぞれ重なり合っているようで、とんでもない虚無を生み出すことがある。

マスプロダクションの弊害であるが、毎授業出席すらできないクソ学生が全員くたばればそれで済む話でもある。

また、語学クラスタ言語学クラスタ、人文クラスタなどのインターネット諸賢のコメントを参照すべきではと思わなくもないが、それはそれで色々な意見があってダルい。

 

とりあえず、

  • 信頼できる学者
  • 信頼できる辞書・文法書
  • 信頼できる出版社・参考書シリーズ

に関する知見を集め、そこから派生する形で、自分のカリキュラムを組むというのが一番満足度が高いように思われる。

現在の学習環境

英語

  • ジーニアス英和辞典 第5版
  • 新マスター英文法
  • Google 翻訳
  • 英辞郎 on the WEB
  • Dictionary.com

を使う。これが多いのか少ないのかよくわからないが、辞典と文法書は重いので、「Google 翻訳」「英辞郎」「Dictionary.com」を使うことが多い。

 

スペイン語

を使う。

 

ラテン語

  • 『新ラテン文法』東洋出版、1992→2015年

を使う。

 

使用教材

英語

講読やゼミで利用する論文を主に使うことになると思う。春休みの間に何かしら進めた方がいいのかもしれないが、まだ特に何も考えていない。

専門の勉強も兼ねて、英語版 Wikipedia から記事を選んで翻訳する(4. 新聞や書籍、論文、ウェブ上の文章などを選び、翻訳する)というアイデアはあるが、書式や Wikipedia 記事の翻訳フローについて知らないことが多すぎるので、ひとまず保留。

英語学の授業で買った

  • 龍城正明 編著『英語学パースペクティヴ 英語をよりよく理解するための15章』南雲堂、2015年

を読む日がついに来たのか…

 

スペイン語

が長き眠りから覚める日が来たという感じがする。

 

ラテン語

『新ラテン文法』を確実に進めて一冊終わらせたい。

 

英語学習に関する先人の知見

ssig33.com - 英語の覚え方

ssig33.com - 英語圏の人たちとちょっと作業をしまして

おすすめ英語勉強方法・実践編 - ヒロニカの日記

立岩『自閉症連続体の時代』みすず書房、2014年(読書メモ)

立岩真也自閉症連続体の時代』みすず書房、2014年 について

 

公式ウェブサイト

詳しい情報は著者のウェブサイト上に詳しくまとめられている。英語・韓国語にも対応。

立岩真也『自閉症連続体の時代』

こちらのページには

  • 書誌情報
  • 目次
  • 「序章」の抜粋
  • 事項や人名のキーワード表記(ハイパーリンク
  • 書評・紹介・言及
  • 更新履歴

がまとめられている。特に「書評・紹介・言及」がすごい。雑誌・新聞上の書評に限らず、言及したツイートなどを収集し並べているだけなのだが、数がすごい。(本記事の執筆時点で)66件を収集している。

 

また、別ページにて「文献表」も掲載している。

立岩真也『自閉症連続体の時代』文献表

 

公式ウェブサイト以外の情報

amazon 上で小谷野敦(!)が指摘している 通り、読みやすい文章ではないと思う。(著者の文体については自己言及する文章が公式ウェブサイト上にある。 立岩真也「悪文」 なるほどという感じ。)

 

自閉症連続体を同時代的にどう考えるか」という問題に向き合いつつ、「文体の正常/異常」を分ける規範なども考える。

 

感想など

有り体に言えば、発達障害者・自閉症スペクトラム者が、特性ゆえに何かしらの「粗相」をしてしまった時に、その責任や対処を厳密に考えるのは、できれば避けたい。それは、それぞれの特性と「粗相」の結果についての厳密な関係については、未だ整理がなされていない「グレーゾーン」である、という感覚があるからだ。
とはいえ、いまや発達障害自閉症スペクトラムについて、専門家や素人から玉石混淆の知見が溢れ出してくる時代でもある。グレーゾーンを越える時が来たのかもしれない。
本書はまさに自閉症連続体をめぐる言説空間をこの時代に定位しようとする試みだ。
 

言説空間において、何を基礎的な知見とするか?

責任能力や個人と社会の関係をどう考えるか」という問いについては、元々倫理学で多くの積み重ねがある。が、本書の文献表には、医療倫理学の文献が何点か見受けられるだけで、実質的に古典的な倫理学の議論というのは意識されていないといってもいいと思う。
本書では、医療社会学、精神医療史、そして「本人本」を文献として利用し、そこから現代の障害学とでもいうべきものを立ち上げようとしている。この分野に明るくないのでよくわからないが、「本人本」については、1980年代末から2014年に至るまでの、自閉症ADHD・ADD に関連する当事者の書いたものをリスト化しており、「曖昧な連続体」が社会化し、また社会に受容されていく過程を知るための一つの指標として、為になる感じがした。
20世紀的なやり方なら、専門家が病気や障害について研究したものを、一般人向けへの啓蒙的な出版・言論活動で還元する、というのが考えられる。しかし、既に「本人の声」が出版界やウェブ上に氾濫している現況にあっては、「本人本」の比較研究を重視するというのが、現在的なやり方になる、という感じだろうか。

紀平・油井 編『グローバリゼーションと帝国』ミネルヴァ書房、2006年(読書メモ)

紀平英作・油井大三郎 編『グローバリゼーションと帝国』(シリーズ・アメリカ研究の越境 第5巻)ミネルヴァ書房、2006年 について

  • 序章 膨張する合衆国と世界
  • 第1部 ヨーロッパの膨張とアメリカ合衆国の起源
  • 第1章 独立革命・近代世界システム・帝国
  • 第2章 ブラック・アトランティックの世界
  • 第3章 先住民・フロンティア・ボーダーランド──スペイン・メキシコ・合衆国による支配の比較検討
  • 第2部 文化の越境と融合
  • 第4章 友情の帝国──「東洋の七つの女子大学」に見るアメリカ的「帝国主義の文化」
  • 第5章 ハリウッド映画と「アメリカニゼーション」
  • 第6章 忘却と空白の詩学──ポストコロニアリズムアメリカ文学研究
  • 第3部 戦争とアメリカニズム
  • 第7章 アメリカ正戦論
  • 第8章 戦争とジェンダー
  • 第9章 敗戦体験とアメリカニズムの変容
  • 第4部 グローバリゼーション時代のアメリカ合衆国
  • 第10章 グローバルな貿易・投資自由化と地域統合のあいだ──競演する貿易・投資の自由化
  • 第11章 「デジタル・パクスアメリカーナ」──インターネットの国際標準化過程
  • 第12章 ポスト冷戦とアメリカ──「勝利」言説の中で
  • 終章 21世紀の世界とアメリカのゆくえ
  • 索引 

第3章「先住民・フロンティア・ボーダーランド──スペイン・メキシコ・合衆国による支配の比較検討」を書いた水野由美子の博士論文加筆版を読んでいく。

 

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