立岩真也『自閉症連続体の時代』みすず書房、2014年 について
公式ウェブサイト
詳しい情報は著者のウェブサイト上に詳しくまとめられている。英語・韓国語にも対応。
こちらのページには
- 書誌情報
- 目次
- 「序章」の抜粋
- 事項や人名のキーワード表記(ハイパーリンク)
- 書評・紹介・言及
- 更新履歴
がまとめられている。特に「書評・紹介・言及」がすごい。雑誌・新聞上の書評に限らず、言及したツイートなどを収集し並べているだけなのだが、数がすごい。(本記事の執筆時点で)66件を収集している。
また、別ページにて「文献表」も掲載している。
公式ウェブサイト以外の情報
amazon 上で小谷野敦(!)が指摘している 通り、読みやすい文章ではないと思う。(著者の文体については自己言及する文章が公式ウェブサイト上にある。 立岩真也「悪文」 なるほどという感じ。)
「自閉症連続体を同時代的にどう考えるか」という問題に向き合いつつ、「文体の正常/異常」を分ける規範なども考える。
感想など
有り体に言えば、発達障害者・自閉症スペクトラム者が、特性ゆえに何かしらの「粗相」をしてしまった時に、その責任や対処を厳密に考えるのは、できれば避けたい。それは、それぞれの特性と「粗相」の結果についての厳密な関係については、未だ整理がなされていない「グレーゾーン」である、という感覚があるからだ。
本書はまさに自閉症連続体をめぐる言説空間をこの時代に定位しようとする試みだ。
言説空間において、何を基礎的な知見とするか?
「責任能力や個人と社会の関係をどう考えるか」という問いについては、元々倫理学で多くの積み重ねがある。が、本書の文献表には、医療倫理学の文献が何点か見受けられるだけで、実質的に古典的な倫理学の議論というのは意識されていないといってもいいと思う。
本書では、医療社会学、精神医療史、そして「本人本」を文献として利用し、そこから現代の障害学とでもいうべきものを立ち上げようとしている。この分野に明るくないのでよくわからないが、「本人本」については、1980年代末から2014年に至るまでの、自閉症・ADHD・ADD に関連する当事者の書いたものをリスト化しており、「曖昧な連続体」が社会化し、また社会に受容されていく過程を知るための一つの指標として、為になる感じがした。
20世紀的なやり方なら、専門家が病気や障害について研究したものを、一般人向けへの啓蒙的な出版・言論活動で還元する、というのが考えられる。しかし、既に「本人の声」が出版界やウェブ上に氾濫している現況にあっては、「本人本」の比較研究を重視するというのが、現在的なやり方になる、という感じだろうか。