歴史的日記

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水野『〈インディアン〉と〈市民〉のはざまで』名古屋大学出版会、2007年(読書メモ)

水野由美子『〈インディアン〉と〈市民〉のはざまで』名古屋大学出版会、2007年

をこれから読んでいきたい。

副題は「合衆国南西部における先住社会の再編過程」。

著者が2005年度に著した博士論文に加筆したものの単行本化らしい。

 

読み始める直接のきっかけは

シリーズ・アメリカ研究の越境 第5巻 『グローバリゼーションと帝国』ミネルヴァ書房、2006年

に収められていた

水野「先住民・フロンティア・ボーダーランド──スペイン・メキシコ・合衆国による支配の比較検討」

だった。

南西部地域の colonization とか国家による包摂の過程とかだと、とりあえず英語とスペイン語だけで何とかなるんじゃないかという甘い期待もある。まあもっと勉強したい。

 

目次は以下の通り。

  • 序章
  • 第I部 合衆国による併合と南西部先住社会──19世紀後半〜1910年代
  • 第1章 「インディアン」と「市民」のあいだ
  • 第2章 「野蛮なトライブ」から「自活しているインディアン」へ──併合後の先住民政策
  • 第I部 小括
  • 第II部 先住民政策改革運動の高揚と南西部先住社会──1920年代〜30年代
  • 第3章 「トライバル」な組織・習俗をめぐる論争──先住民政策改革運動とプエブロ社会
  • 第4章 「玉虫色の法案」とトライバル・ファンドをめぐる論争──重要法案審議過程とナヴァホ社会
  • 第II部 小括
  • 第III部 「インディアン・ニューディール」と南西部先住社会──1930年代〜40年代
  • 第5章 改革のモデルケース──重点施策地域・プエブロ社会における諸改革の意義
  • 第6章 「第二のロング・ウォーク」の波紋──ナヴァホ社会における家畜削減政策と通学学校論争
  • 第III部 小括
  • 終章
  • あとがき
  • 史料文献一覧
  • 人名・組織名索引

第I部から第III部までをあわせると、19世紀後半から1940年代までの南西部における国家と先住社会の関係性の変化をみることができる、という感じだが、ここで論じられている話は現代の Indian reservation について勉強しようと思う時にも非常に参考になる話で、現代とのつながりがくっきりとしたアメリカ南西部現代史という感じもする。

 

あとがきでそこら辺の質感について書かれていた。

20世紀前半の合衆国南西部における先住社会の再編過程という本書の主題は、大方の読者にはあまりなじみのないものかもしれない。プエブロ・ナヴァホといった先住社会に関して、何らかの知識や関心を持っている読者もそれほど多くはないだろう。けれども、本書で取り上げた個人的権利と集団別権利のせめぎあい行政官の裁量権と特定集団の自治権の相克近代教育を受けつつ言語的・文化的多様性をどのように保持するのかといった問題は、当時の先住社会に限定された特殊なものでは決してない。また、合衆国南西部という周縁化された地域だからこそ、「インディアン」という両義的な地位身分が温存されてきた。その生成・変容過程に着目することで、従来の研究とは異なる視角から「市民」概念を再考できたのではないかと思う。*1

 

また、同じくあとがきでは、「インディアン」という用語の初見殺しっぷりについても触れられていた。

(前略)かつての研修旅行で感じた 「何か」を明らかにしたくて、先住民に関連する研究書を読み始めることにした。すると困ったことに、何かが明らかになるどころか、濃い霧の中に迷い込んでしまったような状態に陥った。帰国して修士課程に進学すれば霧が晴れるかと思いきや、事態は悪化し、まるで吹雪の中をあてどもなくさ迷うかのごとくになってしまった。今から思えば、その主な原因は、法的・民族学的な意味での「インディアン」という概念を(両者を峻別する必要がある場合でも)混同したまま、すべての一次史料を読んでいたことにあった。このことに気づくのに、20代前半の貴重な数年間を費やしてしまった。生来のんびり屋でマイペース型の私も、わが身の愚鈍さにいささか呆れている。*2

これは何とも身につまされる話だ。一般に流布した用語にしても、コノテーションや使い分けを押さえないと、やがて詰んでしまうというのは恐ろしい。

 

さて、なぜインディアンをめぐる論争を勉強するのか。

あんまり大した理由もないが、強いて言えば、高校世界史の範囲で先住民というと、チェロキーの「涙の道」なんかを題材に、強制移住と保留地への隔離政策が語られるが、その後の「地位向上」については触れられた記憶がなかったからだ。African-American の公民権運動については、象徴的なエピソードを紹介しやすかった分、それなりの尺で取り上げていたが、Red Power movement については、説明が不十分であったように思う。まあ僕が高校世界史を受けていたのもだいぶ前ですが……

まあともかく「新しい西部史」の影響で日本の先住民史研究も変わってきたそうですが、高校世界史にはまだその辺りの学説の蓄積が反映されていないようだ。

 

「新しい西部史」については、色々と面白そうなので学説史をおさえてから、ブログを更新し、卒論に反映させたいですね。やっていきましょう。

*1:PP.273-274。太字は引用者

*2:P.273。太字は引用者