卒論の問題意識

アメリカ西部地域というのは、現代アメリカの発展において、重要な意義をもつと考えられてきた。
「現代アメリカの発展」と一口に言っても、まあ、色々あった。
この200年間に限っても、本当にさまざまなことが起きた。

 

もちろん歴史家の視野というのは、西部という地域やこの200年に限られるものではなく、たくさんの歴史研究者たちが(西部史の文脈を踏まえ、もしくは外し)より広い場所や年代をこれまで扱ってきた。
そうしてきた専門家の歴史観と、一般の人のそれは、重なり合うところも大きい(どちらにしても西部の歴史的意義そのものを否定する人は、──まあ臆見だが、──ほとんどいないと思われる)。
だが、その細部には、たとえば興味を持つテーマや、意義を考える際の手法などなどに相当な差異がある。
また、もちろん同業の専門家同士でも、ある問題について、全く違うアプローチを用いたり、異なる答えを導いたりすることがよくある。
今回の議論では、一般の人の持つ西部史観というのは対象にせず、この120年近くの間、西部史研究者たちが、どのような問題を設定し、どのような軌跡を描いて、現在に至ったのかを概観したい。

 

西部史研究で何が難しいかというと、まあ大して難しい話はないと思う。
ただ、「なぜ西部史でそのようなテーマが設定されてきたのか」という史学史的な文脈を押さえてから、それぞれの文献にとりかかった方が良い感じがする。
とはいえ、2018年における西部史学史の決定版みたいなものをまとめようとすると、膨大な量の文献に目を通して、議論を整理しないといけないので、それはちょっと卒論の問題として厳しい。
もう一つ問題の次元を上げて、「この120年間に西部史学史というのは、何回か整理されてきた。そのそれぞれの整理における方法と展望を拾っていく」という整理の整理みたいなものを考える。
「西部史学史研究史
まあ史学史の整理が起きるタイミングというのは、やっぱり西部史で何かしらあったんだろうというタイミングなので、その整理の整理にもそれなりの意味が与えられるんじゃないかという気がする。