cut back, drop, and turn

僕においては明白な隠喩体系として眼前にあるものも他者にとっては明白ではなく、これを示すために丁寧な註釈が必要となる。軽蔑すべき内語、恥ずかしい独白の国はまったく要らない要らない。

 世界のうち一部分は隠喩の国であるとしか言いようがない。これは当然のことだ。一見してわからない、飛躍、意味の簒奪、なんだって行なわれる、僕のパラダイス。
 これを註釈してやらないといけない。その目的のもとこのブログは書かれている。

世界は自分のために書かれた一編のテキストであると宣言すればパラノイアの謗りは免れないが、世界のうちごく一部の領域は僕のために書かれたテキストであったかもしれないと君に呟く註釈が今の僕の姿で次の神話だった。

 結構意識的に始まったこの場所も3年半以上続いている。なんでこんなことわざわざ書いたんだろうと思う文章の方が多いが、当初の目的通り記録の蓄積にはつながっているので、消す必要はない。
 見返すと2019年の「先行き」、2020年の「一滴の運動」あたりから方向性が変わった。
 特に一滴の運動はかなり気に入ってる文章で、今でも自己紹介代わりに人に見せることがある。
 書いた当時のことはよく覚えていないが、大学の卒業がまた延期になり、就活つらいなーと思っている時期だったのではないだろうか。ステイホームが始まった時期でもあった。

ぼくの未来は来なかった。

 意外や意外、感染者数が収まった現状があり、ぬるぬると僕の態度も変化している。先のことはわからない。

またなにかあれば考えが変わるかもしれない。そうなった時に話を聞いてくれると嬉しい。

また会お。