中三の頃にインドに行った。当時学校が支援していたハンセン病患者のための施設がインドにあって学校から毎月募金を送っていた。その募金の使途を確かめるための訪問が三年に一度企画され、僕はそこに参加することができた。
インドの鉄道駅のホームで電車の到着を待っている間に一人の子供が線路の向こうから歩いてきた。その子供は片腕を欠いていた。
インドでは物乞いをするために幼い頃、腕や脚を切断することがあると聞く。あるいは事故に遭って失ったのかもしれないが、いずれにせよ貧困だ。
そう中三の僕が初めて出会った貧困であり、アウトオブカーストであり、他者だった。
黙って金銭を求めるその子に何もしてやれなかった。宗教、教育、言語の壁が厚すぎる。
帰国してからもしばらくそのことを思い患った。インド訪問報告記にもそのことを書いた。
梅田の駅前を十数年前に通りがかった際、物乞いの人がいた。地面に頭を伏し、お金を入れる缶を置いている。
この前再開発で綺麗になった梅田の立橋を歩いていたら、昔と同じように物乞いの人がいた。
インドの物乞いと違って言葉は通じると思うが、やはり他者であると思った。
学校の校訓はMan for others 他者の為の人だった。常々そうありたいと願っている。