なんでも知ってるけどなにも出来ない人になりつつある記

近ごろコービッドっていうてるもんがこれからどうなるんかわからんけど、とりあえず記録を取っていくことはだいじやなとおもってちょっとずつ日記を書いときたい。なんにせよ留年や卒業失敗や。三年次の終わり、2018年3月には留年が決まってしまったからそこからのスケジュールは「2020年3月には卒業。あとのことはあとのこと」と考えていた。これはもう真剣に考えていた。ところが今年2020年1月ぐらいにずっと寝込んでしまう期間があって、それで結局二回目の留年が決まった。これはしかたのないことやったけど、やっぱり弱ってしまった。「二留はいややなあ」と切実に思ってた期間が2018年3月からの22ヶ月間、「やっぱり二留かあ」と受け止めはじめてようやく2ヶ月が経った。
はためには、というとふだん僕のツイッターやインスタグラムを眺めてくれてる友達ら、まだ僕に関心を持ってくれていた友達らからしたら、バーテンダーを始めたとかずっと映画ばっか見てるとかでまあ遊び呆けてるように見えていたと思う。実際は遊び呆けながら、きっちり卒業してずばっと仕事をはじめようそれでまた別の遊びをはじめようという未来を思い描いていた。
ぼくの未来は来なかった。

いま、今度こそ確実に卒業できるようにあらゆる手段を検討すること、もう学生としてわちゃわちゃ遊びつづけんのもいい加減やっとる場合ちゃうしそもそもそういうのに飽きてしまったからこれまでとは違う遊びを考えること、経済的に自立して自分の力で家を構成すること、バラバラと。
卒業やら仕事やらはまあなるようにしかならんし、コービーッドな3月に考えることにも限界ある。自分のこと、世界のことをどう考えたらええんやろう。ポスコロな世界の趨勢を眺めるためにじゅうぶんな視座を持っているとまでは言えへんけど、時間ならあるからぼつぼつ記録は採っておきたい。

ほんまに自分の視野の狭さや知識の足りてなさが身に染みて痛い。後輩と喋っとって「なんでも知ってますね」と何気なく言われたけど、いうほどなんでも知ってるわけちゃうし、なんもでけへんから22ヶ月で結果を出されなかった。とこの2ヶ月。
数字が符号する。ぼくはじつは大学に入るまえの二年間も浪人で消耗してしまっていた。大学で五年分の齢を重ねて同じ二年の孤独に戻ってきたという気がする。とはいえ今回は前回よりも多くの華を持っていると思いたい。そして、かつて自分の未来ではなかったものを手にしたい。

数字が回転すると、「まあ夏までには状況が収まってるでしょう」と楽観的な人々の期待が裏切られてしまったら、この疫禍が何年も慢性化するようになってしまったら、どうしたらえんやら。まあ僕はと言えば、前述の通り、こういう引きこもりの日々には慣れているので、もしも社会的距離戦略に飽いて人との会話に飢えてしまったら気軽に声をかけてください。なんでも話せます。

これまでと違う遊びとはなにか。たとえば自分の言葉で世界に火をつける(これは比喩です)。