全世界蟄居

いまや全世界が蟄居している。

蟄居という語を精選版日本国語大辞典で引くと、

ちっ‐きょ【蟄居】〘名〙
①昆虫などが冬眠のために地中にこもっていること。また、その場所。
②家の中にとじこもって外へ出ないこと。また、田舎にしりぞいていること。蟄屈。隠居。
③江戸時代、武士や公卿に科した刑の一つ。閉門を命じた上、さらに一室に謹慎させること。特に終身の場合を永蟄居という。

とある。虫が冬になって地中にこもることから転じて、世をのがれること、ひきこもること、隠退することを指すようになり、江戸時代には刑の名前にもなった、ということらしい。

引きこもりを意味する用例自体は古くからあるが、僕の場合はもっと近い年代から、 pha (日本のブロガー、作家、元日本一有名なニート。著書に『ニートの歩き方:お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法』など)周辺のインターネット界隈の隠語として学んだ。

https://pha.hateblo.jp/entry/20130325/1364190366

 

近世に刑罰となったことからもわかるように、外部とのつながりを絶って家から出ないというのは人間にとってつらいことだ、基本的には。アリストテレスは「人間は社会的動物である」と規定したし、人類の歴史というのはアフリカで発したヒトが全世界に拡散する過程そのものであった。ここで「すべての世界において」と書けるかはまだ僕の知識ではわからないが、とにかく「多くの場合において」人間は社会に出て人と話し、移動し続けることの方が「比較的多かった」ぐらいなら書くことを許されるのではないか。

わからないことが多い。疑問を持ちながら書いている。いまや全世界が蟄居し、インターネットがない家庭や路上生活空間において、どのようなことが起きていくのかわからなくなり始めた。また、「いまや全世界が蟄居している」と最初に書いたが、当然のことながら医療や政治の最前線は不眠不休で進み続けている。想像するに、地獄だろう。そして我々の眼球とメディアの持つカメラ、噂のネットワークからは得られない国や地域のこと(アフリカとかどうなってるのか全然わからん)はまだわからないとする他なく、「我ら全世界」という意識が取り零しているものはあまりに大きいだろうと想像する。見えないものは見えないと言うしかなくて、世界世界世界!とメディアに躍る文字に対しても、ある程度懐疑的にならざるを得ない。いまや全世界が蟄居しているとは信じられずにこれを書いている。

僕の話をする。体調の都合により、あるいは社会性に若干の問題があり、引きこもり生活を間断なく送ってきた。一方で中学生の頃からボランティア活動のために日本中を駆け回ったり、高校からは部活やサークルを通じて多くの人と折衝する機会にも恵まれてきた。恵まれたとしか言いようのない経歴の上に、どうしていまニートの生活、まあまだ一応大学に所属してはいるが、を送っているのか。考えてみるとどうしてなんだろう。甘えや気質、病前性格、遺伝、環境、文化、さまざまな概念や仮説なら思い浮かぶが、結局どこかから借りてきた言葉で自分のことを語っても仕方がないと思う。


自分の言葉に絶対的な自信を持つこと。情けない弁解を全面的に取り下げて、手と口とインターネットとを魂の最前線とし文章を導く。陶酔的だろうが稚拙だろうが、使えるものはすべて使って、自分という存在をこの局面に投機したい。

コビッドナインティンの時代は長く続くと思う。数ヶ月か数年かはまだ計り知れないし、定見は持ち得ないが、大戦や震災がいまだ終わらざる出来事であるのと同じように、この空気と飛沫の流れが僕の人生の終わりまでを支配するだろう。

青年期の終わりと想像的人生の始まりを感じる。長い時間を引きこもりとして過ごした先輩としてみなさんを導く。どのように時間を潰して、出口が見えない自宅に耐えるのか、ぜんぶ教えてやるよ。オンラインでできる仕事はすべてする。僭越、死に物狂いで働く。