TLは砂浜のようでいて

TLは砂浜のようでいて、ゆるいビーチに滞在している時にこそ許容できる一粒一粒が、帰宅後家の中、布団の中にまで持って帰られると耐え難い不快感を催す。ツイートは私の身体に密着しないでほしい。綺麗めの瓶に詰めて持って帰った砂なら思い出にもなるかもしれない。しかしそれも数年の時を経ると部屋の容量を圧迫するゴミのように感じられ、廃棄するだろう。私はそういうことをする。私は砂浜、のごく一部が欲しかったのではない。

幼い頃に砂浜で死体を目撃していたら私の空想も何かしら変わっただろうか。

私は砂浜が欲しかったのではなかった。

私はどこにも行きたくない。

布団の中で見る夢には普通に限りがあって眠れば眠るほど面白いものを見られるわけではない。むしろ起きた時に嫌な思いをすることが増えるとああ睡眠に依存しているなと思う。

起きている時に見える夢は多少面白い。たとえば、砂浜に死体が転がっている。黄金の草原から私を呼ぶ声がする。暗い都市の巨大な高架の下で車が通るのを待つ深夜。馬に乗る。

起きていても寝ていても、もう会わない人たちが責め立ててくる。なんであんなことをしたのかと。

あああああああ、と打ち込むけど誤魔化しにもならない。

どこからどこまでが自分の意志だったのかを考える。いやこれは考えているとは言えない。ただ記憶の表層をただ撫でているだけ。

どこからどこまでが砂浜だったのかを考える。考えてもわからないし、実際に見てもわからない。手を動かして数える、という愚直な手段すら到底通用しない。

家に上がる前に落とした砂の一粒の方が自分だったから、私は布団に還らんかった。