世を引っ越す

かつて海岸だった場所に家があったらしい。誰でもない自分の家があったらしいが、もうあまり覚えていない。生まれてから五、六の家に住んだが、それぞれの所在や外観、価格などを覚えていない。お金の話はレートの問題もあるが。
覚えているのはトイレだ。私はトイレに閉じこもる生き物であり、何かを排泄しながら何かを啜っていた。何かというのがなんなのかやはり覚えていない。
トイレで生まれた訳ではないと思う。しかし記憶がないので確かではない。羊小屋で生まれたかもしれない。もしかすると。そう思うのは羊小屋で生まれた人の話を幼い時分に耳にしたからで、私は聞きながら羊小屋の頼りなさ、よるべなさをまざまざと思い描くことができたから、これは自分の話だと思った。思ったと思う。
羊小屋の話は発見してくれた人たちがいたから私も聞くことができた。三人だったらしい。発見してくれた人たちは。
海岸だった場合のことを知ってくれている人がいればよかったのだがみんな流されてしまった。
仕方がないことだし今は今で自分の家があるのでトイレには困っていない。

戦争の季節にはもう少ししゃんとして構えなければならない。今でさえ絶えざる闘争、と言う人もいるが、まだ親兄弟で殺し合う所までは行き着いていない。
親兄弟で殺し合っている人たちも実際にはいるようだからこれは欺瞞だ。
戦争の季節はもう始まっていると言っておこう。

私は戦場に向かう。ここからは未来の話だが、私は既にそれを体験したと思う。
戦場で五、六の家ではない場所に寝泊まりしたが、どこになにがあったのか覚えていない。トイレと言える個室はなく、地面に穴を掘った。

私は戦場から帰ってきて三十年が経った。戦争を知らないガキたちが色々なことを書いたり話したりしているようだが、私には関係がない。
何を守るとか何のためとかいうことではなかった。トイレかベッドが欲しくて、それは部隊から逃げ出しては手に入らないものだったから、少なくとも自分の部隊の場合は、最後まで動き続けた。

大いなる海岸にやがて帰っていく魂を、三人が見ていてくれないだろうか。一人だと心もとなく、二人だと見解の相違が生まれるかもしれない。三人に証言してほしい。三人は千年という尺度すら知らなかったが、実際には超えた。
超えたんだよ。