デイタイムの停滞は手痛いって言った?

いくつかの信念の束としての私は時によって場所によって異なることを語りたがりともすれば一貫性のない人間のようにも捉えられるし実際意識や記憶のレベルですら連続しているか怪しい私でありその信念は束ねられるように秩序づけられてすらいない集まりであり特別な価値を見出すことは難しく価値というのであれば「語りたがり」すなわち騙り集りであることに特筆性があり信念や一貫性のなさというよりもむしろ何もない人間がいかにして語り始めたのかということをまるで他人事のように叙述していく中で記述が自分から離れる瞬間が来て気持ちが少し楽になりああやっぱり自己なんてものはないと嘯いてみたものの結局自分がつらいだけだったんだなと少しの感傷を得て前に進みこの前に進むというフレーズも頻用するのは物事は何も変わってはいないけれど文章の先頭ぐらいは「前へ」進んでいるという実感を得たいからあえて口にし文字に起こしているということがあってこれからも事あるごとに前へ進むと言い募るのでよろしくご理解いただきたいが前ってどっちだと結局信念の束はなんらかの方を指し示したのかと最初の問いに立ち戻ってきて概観するに前の方というのは正直に言うと死そのものであり人はみな死ぬという運命について語るのが文章全体の目的としてあってみんなが死ぬ地点で誰彼の人生を引き継いでいくなんて教祖みたいなことはやらないししない方ががいいしできないけどとにかく死の暗さを明るくニコニコ笑顔で冗談めかして語るあの感じを追い求めて今の具合に落ち着いていていやこんな場所に落ち着いてはいけないもっと上を目指さなくてはと内なる声インナーボイスが聞こえここでさっきの質問を反復すると上ってどっちだよって話でこれは前向きに明瞭に答えられるのが日本の現代詩人が書いて渡してくれた幾つかの詩篇が全てだと思い僕は青春をツイッターに捧げてきたからツイートでもよかったんだけどツイートは良くも悪くも記録性に乏しくて風に吹かれる砂のように私の手から離れていってしまって私が受け取れたのは形のある詩集だけだったと思うが最近は新しく詩集を開くことも怠けていてお前なんなんだよって自分でも思うぐらい停滞していてこういうのは気分の問題だと思うから気分がマシになるように色々試みてはいるものの次の十年ぐらいかけないと楽にはならないんじゃないかなと前がなんも見えんまま書いてるし何も感じない言葉が出てこないという地点からでも書き始められるというハードルの異様な低さに戦慄しているというかドン引きしてるんですよね執筆という行為にという話をできて今日はよかったですありがとうございました。