2年間書きあぐねた記事を諦めることにした。
2019年夏に公開されたアニメ映画『天気の子』に当時たいそう感銘を受け、以降ぽつぽつとレビュー用のメモを溜めていたのだが、結局一本のまとまりある記事に昇華することはできそうにないと思い至った。
ムーをはじめとするオカルト言説や村上春樹、アメリカンニューシネマ、宮崎駿、押井守、エウレカセブンといったキーワードをチェックしながら、映像作品における真正性 verisimilitude の問題を論じる予定だった。
章立ても考えて全体の構成まではイメージできていたのだが、細部に移ると意識が持続せず、そのまま何も生まれなかった。
映画のレビューは帰りの電車に揺られている間にでも書き上げるのがいいのでは、と言われ、確かにと思った。
天気の子のレビューの他にも、複雑な話を構想し、そして頓挫した経験は数知れない。
断念するたびに1ドルもらっていたら今頃だぜ!
長文への志向性を失えば、そうたとえば140字とかの世界に目を向ければ、書けない切なさから解放されてもう一つ前向きになれるかもしれない。
逆向きに考えると書けない書けない言いながら酒飲んで与太話ばかり広がる自分のことを既に愛してしまっているということなのだろう。不幸なことだとは思わないが単によくない癖だなと思う。
近代文学が誕生したりブログがブームになったりした背景には必ず書けないなーこれの閉塞感があった。
さてこれからどうしますかね。なんでも書ける。