『文体の舵をとれ』練習問題(3)「追加問題」問1

最初の課題で、執筆に作者自身の声やあらたまった声を用いたのなら、今度は同じ(または別の題材について、口語らしい声や方言の声を試してみよう──登場人物が別の人物に語りかけるような調子で。
あるいは先に口語調で書いていたなら、ちょっと手をゆるめて、もっと作者として距離を置いた書き方でやってみよう。

 

 彼は熟れたバナナを食べていた。空腹を満たすにはバナナは少なかった。何を食べたものか彼は思案する。時計は午前10時を指している。今日は休日だ。というより無職の彼にとっては毎日が休みだ。さて、午前10時に彼は何を食べるべきか。その時間が問題だ。バターをたっぷり使ったホットケーキを彼は食べたくなった。そして彼はホットケーキを焼いた。彼の意識が不意に途切れそうになる。毎日適当にホットケーキを焼いていいものか逡巡する。益体のないことばかり考えてしまうと彼は反省するがしかし。

 

 事あるごとに、演奏において何が本質か、という話題に彼女らは言及し、その中でも彼女の主張は、「ステージの上に立つ段になると技術的な問題や緊張ですら問題ではなくなり、楽器の機械的な運動や筋肉や関節の軋みから生み出されるサウンドのみが実在で、他の要素や感情の大渦などはもはや価値がないということです」というものであり、そのようなことを日々サイゼリヤのようなファミリーレストランで語り明かしたわけで、そのようなことを繰り返し言ってはみるものの実際に身についた音楽的な実力には絶望してしまい、反省が促され、むしろ彼女をオーケストラの活動から遠ざけることになって、理論偏重で音痴な身の自己嫌悪を昔のDVDを見返すたびに思い返し、トラウマのようなミスもあったと思い出して、しかしいまや音楽とは関係のない経済生活を送っているのだから、そのような反省の持って行き場はないと再認識し、そもそもの話題である楽器の機械的な運動や肉体のざわめきといったリアリティを彼女自身が信じるにいたっておらず、逆に演奏をしていた当時はエモーションについて考えて、それに囚われ、表現以前の未熟な段階、稚拙な領域に留まることを自ずから望んでいたような気がしてくるが、しかし本番の映像以外に当時の記録は残っておらず、自分がどの段階にいたのか確かめる術もないまま、そして今から新しい考えを書き留めようとする気力もなく、ただ口が達者に回るからという理由で、演奏について語り続ける自分の姿を気に入っているのかもしれないと語って、そしてさらに意外に思われることとして音楽を聞くのが前よりも楽しくなっていって、これは悪いことではないのではと自分を受け入れることさえ可能になり、それは夜だった、昼だった、久しぶりに楽器を取り出してみて、演奏用の筋肉の衰えを実感しながらも、サウンドの実在やエモーションの拒絶を前よりもできるようになっていることに驚き、脳がざわめき、なんとなれば楽器ケースを開けるだけでも十年が報われたような気がして、この楽器とは一生離れられないなと彼女は諦めて、音楽と再会した。