一撃を望む

そもそも自分が望んでいた事態だと思う。この一週間は。

友達を傷つけてしまったことへの後悔から申し訳なさが募り、それなりの態度で生活している。

何を望んでいたか? そういったよくない出来事が「ひとたびに」起きることをだ。

普通は人間関係の悪化というのは些細な機微から生まれ、察知できないようなスピードで行なわれる。できるだけ遅く、誰も傷つけないような速度で、悪化する。そういうものだ。

一週間前の僕は違った。いきなり関係をぶっ壊して、僕が、相手が傷ついて、傷ついたという表明が行なわれた。一気にだ。

 

死別、ブロック、宣戦布告、別れ話、抗議、そして確認。さまざまな契機があるが、多くは予感を伴う。ああ、こういうことが起きそうだ、これはまずそうだと。

僕は恐ろしく鈍感な人間で、他人の心情を推し量れない人間だった、ということが一撃をもって明らかにされた。なんの予感もなかった。

やるなら一思いにやってほしい──と、言うのは簡単だが……

実際に起こった出来事はどうだ?

自分自身への落胆。

 

大いなる他者を望んでいる。神と名付けてもいい。生きてても仕方がない僕に意味をもたらしてくれる他者が欲しい。

くれるなら一撃をくれ。今回みたいに。

 

今回、わかったのは、すごい勢いで人間関係を破壊することはできても、すごい勢いで反省するというのはできないということだ。

高速なのは自意識だけで、そんなのは他人には関係ない。

 

一撃以後どうやって生きるか。もちろん反省して生きる。

それしかないでしょう。