支配欲求

さしあたり支配欲求と呼んでおくことにする。
他者を支配し、自分の思い通りにしようとする傾向が強い。
これが異常なこととは思わない。むしろ多くの人が自分に支配欲求が備わっているという事実から目を背けている状況に対し、僕は自覚的に支配欲求を受け入れようと思っているということなので、正常だと思う。
よく喋る人は人を支配したがる。それを恐れて押し黙る人もいる。それも一つの選択であると思うが、僕は喋ることを選んだ。

相互に支配し合いたいと思う。交わり合ってどうしようもなく変質する自我に戸惑いたい。

相手が自分の思い通りになるとつまらない。そういう相手を支配しようとは思わない。
僕の支配欲求は敗北主義的で、相手の思考を破壊しようと試みた結果、壊れなかった思考こそが美しいと思う。

とにかく他者に関心があり、自分が変わり、相手が変わっていく、もしくは相手が変わらないままでいることに喜びを覚える。

支配欲求と呼んだものは中立的に言えば相互侵襲的なコミュニケーションを取りたいということかもしれないし、端的に言えば愛かもしれない。

僕は極めて宗教的で自己啓発的な人間だと思う。

支配欲求と自己啓発性にこだわって自覚的であることが大事で、自分の偏り具合を常に意識しておくことで、バランスを保ったり意図的に壊したりすることができるようになる。と、信じている。

愛しあいたいと思うか? わからない。

自由意志や近代的自我を信じない。近代を信じないと宣言することで反社会的であるとの烙印を押されるかもしれないが、僕に言わせれば多くの人が近代に不安を感じていながらも侵襲的なコミュニケーションに踏み切れないでいる現状は欺瞞的だ。

変化し続けることが大事だという一点で一貫している。他に一貫性はない。

愛したい? 愛したいよ。ずっと。わからないけど、とりあえず今は。