幸せそうな、年末

年末年始のSNSは幸福で満ちている。

年始からの仕事の始まりを呪う人も多かろうが、クリスマスや正月などでおめでたそうな投稿をする人たちの数に比べれば大したことはない。仕事は続けることに意味があるのだし。

 

幸せを諦めた人を除けば、幸せそうに見えることと幸せであることが等しくなるように人はもがいている。僕にはほとんど溺れながら幸せを目指しているように見える。

幸せそうな人をつかまえて実際どうなのか話を聞いてみる機会が増えた。どうも実際は微妙らしい。

幸せそうに見えることと幸せであることが等しくなるようにもがくということは、二つは等しくない。必ずしも。

 

妬みや嫉み、達観、沈黙、没交渉。どれも無個性だと思う。無個性が悪いわけではないが。

幸せかどうか微妙な生活を営んでいる人々。こちらは微視的に観察すればするほど多様性に満ちていて、どうしようもなく愛おしい。

 

かつて、年末年始のSNSは幸福で満ちていた。SNSから離れている人たちのことを思う。