2020年4月に観た映画

自分としては引きこもり生活をそれなりに楽しんでいるつもりだが、一方で精神的な外部へと出ていって一人の時よりも豊かに情動を動かしたいという欲求もある。
手軽には友達と通話するのが楽しいが、話すネタが次第になくなってくる。友達らも引きこもっているし、社会にも停滞感が広まっているので、通信を共有してもなお閉塞感は否めない。
精神的な外部とはどこか。一つには優れた文化芸術と接してそこにいる人間性イデアと触れ合うことを考える。
そしてもう一つ、いま真剣に考えているのは将来の自分自身との対話だ。それは2020年10月の自分でもいいし2100年4月の自分でもいいが、ここに文章を起こしておいて適当なメディアに刻んでおくと、精神的な外部より来るいずれ自分になる人間がいつか自分だった存在を救いに来てくれんじゃないかという気がする。
2020年4月に果たして自分は何をしていたのか、と将来から振り返る時に「そういえば毎日映画を観ていたんだった」と思い出せるように、欠かさず映画を観るように努めた。

ネタバレについて配慮する文化圏の人間ではないので、ネタバレ込みで書いた。タイタニック号は沈没します。

光のノスタルジア (2010)

 

スペイン語映画。ノンフィクション。チリのアタカマ砂漠が舞台。アタカマ砂漠は平均標高2000mで世界で最も降水量が少ない場所であり、人類が初めて辿り着いた時から交易のための通り道か、あるいは生命が停止する空間、墓所としてある。現代においては、標高が高く空気も乾燥しているため世界的な天文観測拠点として位置づけられており、ここに勤める天文学者達が最初の登場人物だ。

次に、ピノチェト独裁政権 (1973—1990) に虐殺された者たちの家族が登場する。彼女らは今もなおアタカマ砂漠で遺骨を探し収集している。

タイムラインを整理する。
まず宇宙が生まれ、地球も含めた星々が誕生する。遠く離れた宇宙のどこかから天体の誕生の光が遅れて地球に届き、天文観測所ではそれを観測する。これが長期のタイムスケールだ。天文学者はこれについて考えている。
次に生命の誕生が起こり、だいぶ遅れてホモ・サピエンスが登場するのは約20万年前と言われている。ホモ・サピエンスはアフリカから世界中へと飛散し、どこかの時点でアタカマ砂漠へと辿り着き、岩に自分たちの絵画を刻みつけた。これが中期のタイムスケールであり、考古学者が追うものだ。
そして、時代がくだり、20世紀後半にはピノチェト独裁政権が「政治犯」を鏖殺してまわり、その遺体を海やアタカマ砂漠へと無秩序にバラまいた。独裁政権についての正確な記録も墓標すらもなく、ただ曖昧な記憶と証言のみを頼りに犠牲者の妻たちが手ずから遺骨を収集するためにアタカマ砂漠の表面を探り続ける。これが短期のタイムスケール。

すべては過去の出来事であり、いずれは忘れ去られる運命の話であるが、現在をアタカマ砂漠に生きる人々はみな平等に一つの光・時間芸術映画に照らされている、という映像だった。
宇宙の光、過去の岩絵、風化していく遺骨という過去のメディアが遅れて届く話だった。

基本的に全編通して風景を画面に収める技術がとても高いが、キラキラ光るCGエフェクトを何度か入れるのが好きじゃなかった。
あえて fictitious な演出を入れることで現実との間に一線を引く配慮だったのかもしれないが、余計なお世話。

 

アナと雪の女王 (2013)


ディズニー映画。今回初めて観た。王侯権力が過去の儀式を再現するにあたり絵画を参照するという描写にストーリーテリング技術の高さを感じた。Let It Go は非常に良い曲。あと終盤のポリフォニーが良かった。

 

アンフレンデッド:ダークウェブ (2018)


サイコスリラーサスペンス。Skype でグループビデオミーティングをしている若者が正体不明の殺人鬼にどんどん殺されていくという話で、物語的な因果関係としては若者が過去に調子に乗っていた映像とか行動(いわゆる「バカッター」のカリカチュア)のしっぺ返し的な殺人と、不条理に意味なく行われる殺人をバランスよく組み立てていく優等生的なスリラー。スカムとしか言いようのない題材が好きというのもあるけど、画面内に複数の会話ウィンドウを配置するのを機軸にチャット画面とか IRC 風メッセージウィンドウを緩急つけながら引きつける設計が完全に新しい時代の映像作品の妙という感じで非常に楽しかった。

 

メン・イン・ブラック3 (2012)


SFコメディ。ガジェットはダサいし出てくる宇宙人も全然魅力的に見えない、そして脚本がかなり緩い、正直これは駄作だなあと感じた。一作目、二作目とそれぞれ違う作品を志しているのはわかるが、今回のネタはチープな CGI にはハマらなかったと思う。一応過去の出来事が現在に遅れて届くタイムスリップもの。

 

シング・ストリート (2016)


青春映画。どん底の男子高校生が一目惚れした女の子の気を惹くためにバンドを結成して変化していく様子を描く。とはいうもののジョン・カーニー監督の出世作 Once (2007) と軌を同じくしているのはまずもってダブリンという都市そのものがインディーバンドという媒介を通じて沈黙を破り人生を歌う、というラインで、実質的な主役はダブリンという街だと思う。最後になぜ船に乗って旅立ったのか、というのが作劇上鑑賞上ぜったいに外せないポイントで、ステレオタイプ的に受動的な女の子を捕まえてハッピーだぜという青春映画の定型を外そうとした結果、生まれた行動だと思う。とはいえさー、結局男性的男性であることを受け入れて新しいトロフィーを求めにいくというアンチテーゼをやっただけで、ぜんぜんジェンダー固定的な競争から降りてなくね?という点において、Once よりも後退しているなと感じた。あと主人公の直面している現実が全然ファニーでない、楽しいゲームでないことを示すために、不愉快な状況や登場人物が積極的に描かれるんだけど、その中でも特に心に残ったシーンとして意地悪な神父先生が主人公の顔の化粧をトイレでゴシゴシ洗い落とすシーンが性的虐待のメタファーだなと思った。これは前後の微妙な演技のニュアンスからも補強されるが、メタファーのためのメタファーという感じもして微妙な描写だった。バンドメンバーのギタリストとマネジャーに愛嬌があった。

 

アバウト・タイム (2013)


タイムスリップ恋愛映画。意中の女の子の気を惹くためにタイムスリップを繰り返す男の物語。なんとなく居心地の悪い時間をなかったことにするため、ままならない恋愛をハッピーにするために過去へと飛ぶシークェンスから、身内の不幸を防ぐために過去へと飛ぶシークェンス、そして最終的には肉親の死を受け入れタイムスリップを自らとめるというラスト・シークェンスまでを滞りなく描く。タイムスリップでなんでもできるとしてしまうと物語の時空が破断するという課題が商業映画には課されているので、この映画もまたタイムトラベラーの限界と普通の生活の外縁を重ね合わせる方向にいった。映画のなかでも自由にタイムトラベルできないのはちょっと寂しい。

 

アメリ (2001)


フランス語映画。全体の構成とコメディ要素の独創性は高いが、少女時代の終わりとシスヘテロ恋愛の始まりの物語となっていて、テーマ自体は普通。未亡人が夫の手紙を受け取る話が良かった。遅れて届くメディアに弱い。

 

フランシス・ハ (2012)


気怠い若者の映画。才能に恵まれていながら思い描いていたキャリアからは離れたところを流れてしまい、また人間関係もあまり愉快なことばかりではない、という感じの冴えない若者が主人公。よくある話といえばよくある話なんだけど、重要っぽい人生の局面で気の利いた言葉が出てこない、ウィットが足りない振る舞いをしてしまうという描写、いわゆる若気の至りを淡々とつなげることで、緊張感とか虚飾を取り除いていたのがすごかった。こういう角度で若者を観察するとはどんな気分なのだろう。

 

ミッドナイト・イン・パリ (2011)


タイムスリップ恋愛映画。まずポスターがゴッホの糸杉をオマージュしてるんだけど、なんと本編にゴッホが登場しない! なんでそんなことになるんだ。脚本はぼんくらに徹する感じで役者の演技がそれなりに熱が入っているのとギャップがあり過ぎ、ちょっとアホっぽさに乗り切れなかった。ヘミングウェイが良い。

 

きみに読む物語 (2004)


恋愛映画。監督のニック・カサヴェテスは天才ジョン・カサヴェテスと女優ジーナ・ローランズの息子。本作にもジーナ・ローランズが語り手の「語り相手」として登場する。若きライアン・ゴズリングレイチェル・マクアダムスの演技も、わ、若い……と楽しめたが、正直ジーナ・ローランズの演技がずば抜けて圧倒的で別の映画が始まったのかと思った。もちろんジョン・カサヴェテス監督+ジーナ・ローランズ主演作『こわれゆく女』を参照している。僕がジョン・カサヴェテスを好きすぎるせいで「こんなアンサーありかよ!」と熱狂した。

 

あと1センチの恋 (2014)


恋愛映画。話はチープ、演出も特に見所なし。これはね、過去が遅れて届く話なんですよ……もはやそれ以上語るまい。

 

グッバイ・ゴダール! (2017)


フランス語映画。映画監督ジャン・リュック・ゴダールの伝記もの。恋愛描写としては今月一番ツボに入った。脚色がどうとかはよくわからないので保留。ステイシー・マーティンの顔がいい。

 

きみがぼくを見つけた日 (2009)


タイムスリップ恋愛映画。ヒロインがアバウト・タイム (2013) のレイチェル・マクアダムスで、題材もタイムトラベラーの恋愛。当然、タイムトラベラーの限界と普通の生活の外縁を重ね合わせる話だが、少しだけ反生殖主義にまで明示的に踏み込むのでおっと思った。そこからの落とし所は無難そのもので特に議論が喚起されるようなものではなかったが。ちょいちょいカットつなぎで異常な暗転が入るのがちょっとどうかと思った。ダサすぎる。主人公が変質者みたいな服しか着れない体質だったのがウケた。

 

ローマの休日 (1953)


途中までは良くも悪くも古典だなーという視線でしか観れなかったが、最後の会見のシークェンスが編集も演技も構図も異次元にぶっ飛んでて脳を焼かれた。なるほどこれが名作……

 

タイタニック (1997)


過去のメディアが遅れて届く話なのだが、そのメディアというのが世界最大の客船タイタニック号という設定そのものが面白い、そのような映画だった。現代の男優について真面目に考えるなら20代前半のディカプリオは絶対的に拝まなければならない。しかし、船が沈没しはじめたらもっと乗客にゲロを吐いてほしいんだよね。吐瀉物まみれのタイタニックしか見たくない。

 

パターソン (2016)


ジム・ジャームッシュ映画。日本からやってきた詩人がハリウッド的に神秘化されているのが前提で、そのうえで日本語と英語の翻訳不可能性を直接的に語る会話になっていたので、最後の最後に主体と客体が溶け合うという帰結に至った。全編そのような感じで、そんな展開やめてくれよーと思ったら梯子を外してしかもファニーな冗談でまとめるということを繰り返す。表面的な雰囲気は伝わりやすいのに裏で回っている仕組みや細工は全然見えてこない感じ。今月見た映画の中で一番気に入った。これからずっと見ると思う。全編すごく静かで、中盤に流れるおさえにおさえたアンビエントのドローンがすごく気持ちよく響いた。

 

チャーリーとチョコレート工場 (2005)


ファンタジー映画。どうにも趣味に合わなかった……

 

エンドレス・ポエトリー (2016)


スペイン語映画。アレハンドロ・ホドロフスキーオイディプスオイディプスの父親を両方ともやるという話だった。かっこよくキマッたカットがそれなりにあって、これはかっこいい映画だなと思った。

 

白ゆき姫殺人事件 (2014)


ミステリ映画。いやーつまらない!

 

ストレンジャー・ザン・パラダイス (1984)


ジム・ジャームッシュの他の映画を見た上だと非常によくわかる話なんだけど、そもそも1984年当時どうやってこんな脚本を書けたんだろうと考えさせられた。ビートニクの影響とかなのかな。しかしハンガリー系移民というテーマが響く響く。

 

ティファニーで朝食を (1961)


最後に雨の中疾走するヒロインとそれを抱きしめる主人公! 最後に雨の中疾走するヒロインとそれを抱きしめる主人公じゃないか! こんなところにいたのか!