最近の創作活動

人間味のある話は小説に書けばいいのでツイッターやブログでは人間味のないテンプレートのような文章を追求していくことになった。

小説とブログの書き分けというのは僕にとって結構重要で、小説は事実に基づかない妄想、ブログは事実に基づく話という区別をつけている。しかし時折創作と現実が入り混じるどうしようもない日が訪れて、その境界は曖昧になる。

小説とブログの両方を読めば僕の人間性が明らかになるように図っているが両方読む人は少ない。また小説だけ、あるいはブログだけを読んでも僕の人間性がそれなりにわかるように書いているつもりだが、そもそもわかりづらい文章が多く、また隅々まで読み込む人が少ないということもあり、自己表現という目標は捨てている。

自己表現が目標でないなら何のために書いているのか。一つは今まで誰も見たことがない文章を書きたいという欲求がある。しかし誰も見たことがない文章は誰にも読めない。

ブログは事実に基づく話なので周囲の人間を登場させづらい。一方で小説は事実に基づかない僕の妄想なので周囲の人間を好きに収集して、歪め、記述することができる。

個人を特定できるようにすると訴えられますよと言われたが、せっかくなので人生経験として裁判は体験してみたい。


「フィクションを書け」とよく言われる。もっともな話だと思う。現実を歪めて小説に落とし込むプロセスについて、多くの人から心配されている。

何を書くにせよ実力が足りないと感じる。分量を稼ぐための実力。分量を稼ぐことで得られる実力。迫力だって足りない。

現実を歪めて小説にするぐらいのことじゃ満足できない。現実そのものを歪める小説でありたい。世界を破壊する。まあ、芸術ってことで。