政治的な意味合い

原体験について書く。

小学生の頃、毎晩報道ステーションを熱心に見ていた。当時は違った名前だったかもしれないが、とにかくその枠を見ていた。

中学生の頃、学校のボランティア作業に駆り出されていた。自分から志願した派遣先もあったし、学校から指示された所もあったと思う。釜ヶ崎や神戸の夜回り、炊き出し、街頭募金、児童養護施設との交流、インド訪問、障害者支援などをよく覚えている。思想的に強い学校だったので、委員会の集まりや講演、派遣先でのレクチャーなどを通じて、カトリックの精神と援助者としての心得を叩き込まれた。

高校生の頃、ボランティア活動にさらにのめり込む。自分で企画をするようなこともあったと思う。東日本大震災が起こった年の夏には東北に派遣され、活動に従事した。

中学校の頃はまとめブログをよく読んでいた。当時は嫌韓ブームの真っ只中だったが、自分が何を考えていたのかはもう覚えていない。

高校生ぐらいからSNS中毒になる。様々なツイートを読んだが、やはりあまり深くは覚えていない。

大学では学生自治に絡んだちょっとした動きを除いては政治活動に触れなかった。政治嫌悪や無関心ではなく、時間がそんなになかった。時々、ニュースを引用して自分の意見をツイートするようなことはあったと思う。

中高で活動者や教員から埋め込まれた価値観が今でも生きている。弱者救済をモットーとする。

ところで大学生の頃に人生の転機を迎える。いくつかの出来事から自分自身が弱者であったことを自覚した。以後の弱者救済活動は、互助活動的な側面が濃くなる。

自分には弱者救済以外のイデオロギーがない。人と会話をしていても、基本的には相手に合わせて立場を付け替える。ツイートで自分の意見を述べるのは、その結果フォロワーをフィルタリングすることが目的のポジショントークに過ぎない。多くの価値観は人から借りてきたものであり、自分には似合わないと思いながら利用している。

過激な思想の持ち主を「うまい具合に」嗜めている時ほど自分が凡庸であることを自覚する時はないが、別に気にしてはいない。自分の本懐は誰よりも過激な文章を生み出すことにあり、会話は消えてはなくなる煙でしかない。吸い込むことで害もあろうが、慣れるとなんてことはない。

より多くの人と出会うことを望む。人々を文章にしたい。

だれかぼくの文章にいてくれませんか。