出、口の方へ

道の選び方は無作為だった。思慮はなく、歩き始める時に右足と左足どちらからにしようかと考えないぐらいに無意識だった。振り返って、足を引きずった後を見返して、これが道だったと言うことができる。それしかできない。

同じ道を何度も歩み直している。足跡が残る、とすれば、それは舞踏の残像に見えたはずだ。今は一瞬前と同じ場所にいるけれど、拍が違う、身体は常に違う反応を示している。

ベースラインが切れ切れなのは、隊列がバラバラで、構文が散り散りで、前文までを断ち切る語り口が多いのは、断片的な進行に合わせてのことだ。ダンペンテキナシンコウにアワセテノコトダってどういう意味? 楽譜を読めばわかる。

二度と低い土地には流れない、と言った液体のキミ(懐かしいね)と巡り合いたい。もう一度。僕が魂と発語する時に考えていることはまさに自尊心のことだから、魂と書くたびに君を思い出す。

水や空気の流れ、太陽の光、月の形、なにかのにおい、といったゆらめく色々が僕の文章を作っている。たとえば道について書くとすれば、砂粒の一つ一つにまで凝視し、天空はるか彼方から見下ろした視点で、すべてを並行しながら書くというやり方しかできない。とても不器用だと思う。

完成までどのくらい? ──ちょっとした奇跡を待っている。

この部屋に出口は一つしかなくて、それを通るのは死の瞬間のことになる。僕が待っているものが、死の瞬間よりも早いか遅いかは、実は大した問題ではない。