知らない人と話す

複数人の会話、それもよく知らない人を交えた会合の進め方について。

様々なやり方があると思う。

会合の冒頭に参加者それぞれの紹介を行うのは、普通は効果的だ。それぞれの立場を強制的に開示することで、不安感・警戒心を和らげることができる。ただし、参加者の個人情報や特性を一律に公開するというのはパターナリスティックである。また、冒頭に置かれた情報を参加者全員がずっと覚え続けているかというと、きっとそうではない(話している途中に「あれ、この人の名前はなんだっけ」となることはよくある)ので、紹介のタイミングをあえてズラしたり、何度も繰り返すということも考えられる。

僕は参加者一人一人に「公平に」話をしてもらうことを好む。「均等に」とはいかないのは、人によって話せる知識、話せない話題が異なるので、話を振っても仕方がない場合があるからだ。無論それは素人には喋らせないということを意味するのではなく、素人には素人なりの意見があるので、それを話してもらうこともままある。

一方で参加者の中に僕個人が苦手とする人がいた場合、その人が喋りにくそうな話題を広げたり、その人の話す番が回る前に切り替えたりすることがある。一方的に権力を用いる場合、相手との力関係によって勝敗が決する。

参加者一人一人に公平に話してもらうことができたなら、僕という人間が積極的に喋る動機は薄くなる。苦手な人間から発言権を奪う時以外は大人しくしている、ということすらある。

複数人の話の聞き取りを苦手とする参加者がいた場合は、その人にあわせたペースで進める。時には話題の再確認や要約、参加者の立場の明示なども行い、苦手意識を軽減してもらう。

喋りたくなさそうな人がいる時は細心の注意を払う。特にその人が会合に積極的に参加しているのではなく、消極的に参加している場合は、配慮を行うことが重要になる。まずは喋りたくない人もその場にいていいと意識させること。次にその人が楽に喋れそうな話題を探すこと。そしてそのような配慮は影の内に行ってあからさまに示さないこと。

「自分が好きなだけ話せばいい」「相手に好きなだけ喋らせればいい」ということでは決してない。むしろ逆だ。「自分も他人も好きに話してはいけない。主導権をめぐる権力闘争を行いながらも最終的には融和を目指す」ことに理想がある。

具体的には、複数人で話すのが苦手な人や、消極的に参加していた人に、今日は話せてよかったと思ってもらえたら、誇るべき勝利だと思う。